「鎌倉殿の13人」尼将軍・北条政子の墓を伝える鎌倉の名刹。壽福寺と安養院【前編】 (2/5ページ)

Japaaan

鎌倉幕府初代将軍の正室で尼将軍と称された北条政子。1157年、伊豆の弱小豪族北条時政の長女に生まれ、流人として伊豆に暮らしていた源頼朝と恋に落ちました。この恋が発端となり、父の時政が頼朝を後見、その旗揚げに繋がったのです。

『頼朝殿の13人』の中で、政子は頼朝の気を引くのに積極的な女性として描かれています。実は政子については、あまり多くの資料がなく、政子という名であったかどうかも明らかではありません。

しかし、政子は、感情の起伏が激しい女性であったことは明らかです。頼朝との交際を父時政に反対されると、伊豆権現に駆け落ちしたり、頼朝が亀の前という女性を愛妾にすると、その屋敷を襲わせたりと、激情の赴くままに行動しています。

こうした激しい政子の性格は、鎌倉幕府初期の動乱の時代の中、尼将軍として武家政権をリードしていくのに適していたということは、間違いのないようです。

平家を滅ぼした頼朝が鎌倉幕府を開くと、政子はその御台所として幕府政治に強く関与します。頼朝が急死すると、比企氏を優遇する嫡男で2代将軍頼家の排除を時政と協力して行い、次男の実朝を3代将軍に就任させます。

時政が実朝を傀儡化して権力独占を図ろうと画策すると、政子は弟の義時と協力して時政とその妻牧の方を伊豆に追放しました。

政子の父北条時政。流人であった頼朝を後見し、鎌倉幕府初代執権として権勢を振るった。

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