「鎌倉殿の13人」尼将軍・北条政子の墓を伝える鎌倉の名刹。壽福寺と安養院【前編】 (3/5ページ)

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このように頼朝死後の幕府内における将軍家・北条氏・有力御家人の争いに、必ずというほど政子が関与し、尼将軍として大勢をリードしていくのです。

実朝が将軍となることで、政子は朝廷との融合策を進めます。それは、病弱で子に恵まれない実朝の継嗣に後鳥羽上皇の皇子を将軍として迎えることでした。そのために、政子は京都に上り、後鳥羽上皇の乳母と会談を重ねています。

しかし、実朝が頼家の遺児公暁に暗殺されると、朝廷との関係が悪化。ついには、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を下し、承久の乱が勃発します。

上皇挙兵の報に御家人たちは激しく動揺。しかし、政子は「頼朝の恩は山よりも高く、海よりも深い」という有名な大演説を行い、御家人たちを叱咤激励し、承久の乱を鎌倉幕府側の勝利に導きました。

その後も、政子は「尼将軍」として幕府の中枢に大きな影響力を持ち続け、1225年69歳で病没したのです。

政子の弟で2代執権の北条義時。承久の乱に勝利し、幕府権力を万全なものにした。

では、ここからは鎌倉にある北条政子ゆかりの寺院をご紹介しましょう。先ずは、彼女の墓を伝える壽福寺をご案内します。

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