妙好人の中でも際立った存在感を放つ讃岐の庄松の驚くべき信仰態度 (2/4ページ)
神道やキリスト教の信仰者が、神社の本殿や十字架のイエス・キリストにすり寄って甘えるだろうか。神仏とは敬うものであり、同時に畏れるもの、崇め奉るものである。しかし庄松は阿弥陀仏にすべてを委ねていた。すべてを委ねるとは親に抱かれる赤子と同じである。阿弥陀仏は広大な慈悲を持って包み込んでくれる「親」なのである。
■阿弥陀仏を親だと信じた庄松の逸話
庄松はまた暑い夏の日、御本尊が描いてある掛け軸を竹に吊るし「親様も涼しかろう」などと言っている。庄松がクリスチャンだったら、十字架のイエスに「寒かろう」と毛布でもかけてあげたに違いない。
ある人が勝覚寺の本堂で横に寝ていた庄松を咎めた。庄松は「親の内じゃ遠慮に及ばぬ」と意に介さなかった。阿弥陀仏に対して生真面目な人から見れば、無作法極まりない態度である。しかし親に遠慮する子はいない。そのようなことをすれば、子供が親に遠慮するものじゃないと返って叱られるだろう。子が親に甘える。庄松にとって阿弥陀仏は誰よりも親しい存在なのである。
■自由過ぎた庄松
すべてを阿弥陀仏に委ねている庄松は世事にこだわらず、固定観念に囚われない。文字が読めない庄松に、このお経はなんと書いてあるのかと問えば、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよと書いてある」。地獄や極楽は眼に見えないので疑いが晴れぬと言えば、「この向こうの山の南に阿波という国があるぞ」と返す。
生死すら阿弥陀仏に任せきっているのだから、不慮の災難にも動じない。ある時、庄松が船に乗船中、暴風となり沈没の危機に瀕した。多くの信仰厚きはずの人達が波を鎮めたもうと怯え祈る中、庄松は高いびきだったという。いくら度胸があるといっても寝てる場合ではない状況に、ゆすり起こされた庄松は「ここはまだ娑婆か」。まるで寝起きの幼子である。庄松にすれば娑婆にいようと浄土にいようと同じ阿弥陀仏の掌の上。同じことなのだった。
■それが故に人から求められた庄松
このような庄松であるから無知無学な市井の民であるにもかかわらず、話を聴きに来る人は絶えず、招かれて法座を開くこともあった。そればかりか本職の僧侶、住職からも教えを受けることもあるほどだ。