妙好人の中でも際立った存在感を放つ讃岐の庄松の驚くべき信仰態度 (1/4ページ)
私たちはもう少し楽に生きられないだろうか。多くのものに縛られ、固定観念に囚われ、本来悩み苦しむ必要はないのに、自分からその原因に執着し手離そうとしない。決して楽とはいえない生活の中で妙好人たちは自由に生きた。彼らはこの世にいながら、すでに極楽浄土にいたのである。
■妙好人とは
平田篤胤(1776~1843)から「乞食以下の仏教」と呼ばれたように、最底辺最下層の人たちに寄り添った浄土真宗も本山である本願寺は貴族化してしまう。一方で在野には信仰深き篤信者がいた。それが妙好人と呼ばれる、その信仰の深さが広く知られている人達である。
妙好人の名は中国浄土系仏教の大成者・善導(613〜681)の「念仏者はこれ人中の好人、人中の妙好人」に由来するとされる。赤尾の道宗(?〜1516)、浅原才市(1850〜1932)らが有名。いずれも無知無学文な民草であった。本来なら周囲から軽んじられるような人たちでありながら、その境涯の一端でも触れようと彼らを中心とした法座が開かれ、遠方からも多くの人が集った。この高名な僧侶でも禅師でもない市井の賢者たちは、鈴木大拙(1870〜1966)らが紹介することで世に知られるようになった。
妙好人の中でも讃岐の庄松(1799 ~1871)の存在は際立っており、その天衣無縫の極みといえる逸話を多く残している。
■阿弥陀仏に赤子のように甘えていた庄松
庄松は讃岐国大内郡土居村(現 香川県東かがわ市土居)の農村に生まれ、真宗興正派・勝覚寺の門徒であった。生涯独身で僅かな田畑を耕し、縄を編んだり草履づくりなどをして暮らしたという。
そのような時にふと、阿弥陀仏の慈悲のことを思い出すとすぐに仏壇を開き、御本尊(阿弥陀仏)に向かって「バーアバーア」と甘えだしたという。庄松は自身が「親様」と呼ぶ阿弥陀仏に赤子のように甘えているのである。現代でいい年をした大人の男がこのようなことをすればかなり問題である。いや、この時代ですら奇行の類であろう。だから伝えられているのである。
■神仏とは本来崇め奉られるものだが
このような信仰態度はありそうでない。