「花の名は」都びとの侮辱に和歌で反撃した平安時代の武将・安倍宗任の教養と誇り (3/4ページ)
奥州でも都でも、日本どこでも梅の花は梅の花……同じ日本(ひのもと)の臣民でありながら、ただ都に住んでいるというだけで、思い上がりも甚だしい。
そんな宗任の怒りと奥州人の矜持(そして皮肉)が込められた一首に、安倍一族は一矢報いた思いがしたことでしょう。
終わりにお裁きの結果、宗任らは死一等を減じて伊予国(現:愛媛県)へ流罪となり、治暦3年(1067年)に筑前大島(現:福岡県宗像市)へ移されました。そして嘉承3年(1108年)2月4日、現地で77歳の生涯に幕を下ろします。
余談と言っては何ですが、歳月は流れて戦国時代。奥州の覇者である伊達政宗(だて まさむね)が上洛した際、やはり意地悪な都びとが桜の花枝を突き出しました。
「この花の名を、伊達殿はご存じにございましょうか?」
それを見た政宗は、「やれやれ」とばかり一句詠んでやります。