藤原秀衡と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった「金売吉次」とは?【その2】 (3/4ページ)
景光は京で義経と近づくと、奥州へ行くことを提案(したと考えられます)。当然、奥州藤原氏の当主・秀衡も同様に考えていました。
奥州藤原氏と義経との出会い
当時の東北地方は、二つの令制国に分けられていました。太平洋側の陸奥国(現代の福島県・宮城県・岩手県・青森県の大部分)と日本海側の出羽国(山形県と秋田県に相当)です。
「奥州」とは陸奥国あるいは出羽国をも含んだ二カ国を総称する言葉でした。承安4(1170)年ごろ、堀景光は源義経を伴って奥州平泉に下向。秀衡にも面会しています。景光にとっては帰国でもありました。
堀景光は奥州平泉でどこに拠点を持っていたのでしょうか?
伝承によれば、金売吉次の屋敷跡とされる場所が平泉の近くにありました。現在の岩手県奥州市衣川にある平安時代の寺院跡「長者ヶ原廃寺跡」です。
現在では奥州藤原氏の祖先である安倍氏が建立した寺院跡地だったと確認されました。しかし堀景光=金売吉次の足跡は、確かに平泉でも確認されていたことは確かなようです。
源義経が秀衡のもとで養育されるようになると、景光もときには近侍し、あるいは京で情報収集にあたったものと推察されます。