藤原秀衡と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった「金売吉次」とは?【その2】 (4/4ページ)

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義経、奥州藤原氏の元を巣立つ

源平合戦図屏風(出典:ウィキペディア)

やがて時代は反平家に向けて動き始めることとなります。

治承3(1179)年、後白河法皇は平清盛によって幽閉。院近臣の多くが朝廷の要職から解任され、平家一門が起用されていきます。世にいう治承三年の政変です。

一連の政変によって院政は停止。平家の知行国は日本の半分を超える30余ヶ国にのぼりました。当然、平家に対する不満は高まりを見せます。

政変の翌治承4(1180)年、以仁王(後白河法皇の第三皇子)が摂津源氏・源頼政らと共に挙兵。全国の源氏や寺社に平家打倒の令旨(命令文書)を発しました。

同年には伊豆国で源頼朝が挙兵。やがて甲斐の武田信議信濃の木曾義仲らも兵を挙げます。

奥州にいた源義経らも源平合戦に加わる道を選びました。藤原秀衡は遺留しますが、義経は館を出て坂東の頼朝の陣に進発。奥州藤原氏家臣の佐藤継信・忠信兄弟も義経に従っていることから、堀景光も帯同した可能性があります。

頼朝は伊豆の石橋山で平家方の大庭景親らに負けるものの、房総半島に逃げて勢力を挽回します。

鎌倉に入った頼朝は鎌倉殿(鎌倉の主)として君臨。坂東を平定し、武士たちを糾合していきます。同年10月には、義経は黄瀬川で頼朝と対面。堀景光=金売吉次が少しずつ歴史の表舞台に姿を表していきます。

次回【その3】に続きます。

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