なんと「おでん」の歴史は800年以上!ごく身近な料理の歴史と多彩さに驚愕

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なんと「おでん」の歴史は800年以上!ごく身近な料理の歴史と多彩さに驚愕

最初は「焼き物」だったおでん

冬の鍋料理の代表格「おでん」。私たちにとっては慣れ親しんだメニューですが、実はとても古い由来があるんです。

今回は、この「おでん」の由来を説明します。

おでんの始まりは、豆腐を拍子木型に切って、竹串に刺して焼いた豆腐田楽だと言われています。これは少なくとも平安時代末期には存在していたと、記録に残されています。最初の頃は塩を振っただけのごくシンプルなものでした。

田楽

時代が下って室町時代になると、この豆腐田楽に味噌をつけて食べるようになり、「御」をつけて略称として「御田(おでん)」と呼ばれます。

そして、江戸時代になるとこの「お田」は庶民にも広まっていき、さらに田楽の種類も増えていきます。豆腐・ナス・里いも・こんにゃくなど多くの具材が使われるようになりました。

中には猪や鹿の肉などを使ったものや、魚を焼いて味噌をつけた「魚田」などの変わり種もあったそうです。野菜や肉を串に刺して食べるなんて、BBQを連想させますね。

串に刺された田楽は、その手軽さから江戸時代の庶民のスナックとして人気を集めました。今で言うファストフードの感覚だったようです。

しかし、野菜類や魚などの具材は焼き上がるまで時間がかかるため、せっかちな江戸っ子のために、次第に具材を煮込むようになっていきました。

煮込んで、味をつけて、そして昭和へ…

そして、関西地域ではこんにゃくを昆布だしの中で温め甘味噌をつけて食べるようになりました。上方の煮込み田楽の誕生です。

名古屋の名物「みそおでん」

これが汁気たっぷりの今のおでんの原型といわれていますが、当時は汁に味を付けていませんでした。

さて、江戸時代後期になると、江戸近郊の銚子や野田で醤油の醸造が盛んになり、安い醤油が庶民にも行き渡るようになります。

「早さ」が追求された江戸時代、温めてから味噌を塗って食べる関西式の味噌おでんは手間がかかるため、この醤油を用いた汁で煮込んでそのまま食べる江戸式のおでんが流行していきます。

明治になると練り物が誕生して、おでんダネの種類は一気に増え、煮込みおでんから、汁気たっぷりのおでんへと変わっていきます。どんどん、私たちの知る「おでん」の形が固まっていきますね。

大正を迎えて、関東のおでんも関西へ広がっていきますが、関西では醤油による濃い色が好まれず、薄口しょうゆを使うようになり、これは関西煮(かんさいだき)とも呼ばれました。

関西煮も、かつおだしと昆布だしを使う点は関東のものと同じですが、味つけ、煮込み方、具材が異なります。

関東味のおでんは、濃口しょうゆに砂糖と酒を加えて甘辛い味でぐつぐつ煮込むのに対し、関西味のおでんは薄口しょうゆにみりんと塩を加えるあっさり味です。

変幻自在の「おでん」

おでんは、昭和になると、すぐに食べられる手軽さから駄菓子屋や居酒屋、屋台などで扱われるようになります。

また、1979(昭和54)年にコンビニで発売されると、より一層手軽に食べられるようになりました。

コンビニのあったかおでん

関東風や関西風以外にも、全国各地でさまざまな味や食べ方があります。例えば関東と関西の中間点である静岡には「静岡おでん」と呼ばれる独自のものが存在します。

関東風、関西風との大きな違いは、牛スジや豚モツなど、肉類から取った出汁を使用しているところです。

濃口醤油で調味しているため、だし汁の色は黒ですが、見た目の印象とは逆に、あっさりした味わいです。

そして、タネが一本ずつ串に刺さっているのも特徴的で、食べる際には青のりや削り粉と呼ばれる細かく削られたイワシ節をかけて食べます。

北海道や東北地方では昆布だしが基本です。北海道では豊富な海産物を入れたおでんが主流で、変わったところではツブ貝やホタテ、鱈の白子なども入れたりします。

「おでん」と呼ばれている料理の特徴を、全国規模で見ていくと、単純に一括りにして「おでん」と呼んでいいのかと迷ってしまうほど、その種類は豊富です。

それくらい多様でありながら、やっぱり「おでん」であることには違いない。日本人が古くから親しんできた料理ですが、いくらでも自由なアレンジが利く点も大きな魅力なのでしょう。

参考資料

かまぼこの藤光海風堂ブログ macaroni

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