日本の海賊「倭寇(わこう)」とは何者だったのか?その正体と対策の歴史をたどる (2/4ページ)
よってそこに住む人々は、戦争に必要な兵糧を確保するためにも、大陸へ行き略奪を働かざるを得なかった部分があります。
略奪だけではありません。倭寇たちは、たびたび商船から通行料を取ることもありました。
貿易体制の整備で鎮静化室町時代初期(南北朝時代)になると、倭寇はますます活発になります。高麗と明は、その狼藉ぶりにだいぶ手を焼いており、明の太祖などは倭寇取り締まりを理由に1371年に海禁令を出しているほどです。
倭寇は簡単に取り締まれるような相手ではなかったのです。
しかしそんな倭寇も、14世紀の終わりごろになると少しずつ勢力が衰えていきます。
理由は、東アジア情勢が安定したことでした。1392年に李氏朝鮮王朝が成立し(ちなみに李成桂は、倭寇の戦いでも功績をあげています)、同年、日本でも南北朝が統一されたのです。
そして1404年には、明の永楽帝と足利義満の間で日明間の勘合貿易が開始されました。これにより、室町幕府は貿易の安全性を確保するために本格的な倭寇対策を行うようになります。
