日本の海賊「倭寇(わこう)」とは何者だったのか?その正体と対策の歴史をたどる (3/4ページ)
さらに朝鮮王朝も、朝貢貿易に加えて民間貿易も行うようになり、富山浦・乃而浦・塩浦の三浦(さんぽ)に倭館を置き入港を認めるようになりました。これにより、朝鮮に対する倭寇の活動も収まっていきました。
こうして一時的に鎮静化していた倭寇ですが、足利義満の次の将軍・義持が明の冊封下での朝貢貿易を嫌って、一時的に勘合貿易を停止します。
これで取り締まりが緩んだため、倭寇が再び活動を活発化させました。
これに怒ったのが朝鮮で、1419年には、倭寇の根拠地だった対馬が襲撃される事件が発生しています(応永の外寇)。
結局、後に日明間の貿易も再開され、この地域での倭寇の活動は徐々に沈静化ていきました。
ところが、話はこれで終わりません。16世紀に入るとこれまでと違った新しいタイプの倭寇が登場します。
ニュータイプ倭寇は日本と無関係!?このニュータイプの倭寇は台湾などの南方面で活動する集団で、その構成員も、日本人ではなく中国(当時の明)の人々でした。「倭寇」と言っても、日本とは関係のない人々です。
当時、明は正式な手続きを経た一部の商船との貿易だけを認めていました。
このため、多くの人々が貿易の道を閉ざされる形になってしまいます。そこで活発になったのが、明と貿易をしている東南アジアの国々を中継し、間接的に明と貿易する中継貿易でした。