日本の海賊「倭寇(わこう)」とは何者だったのか?その正体と対策の歴史をたどる (4/4ページ)
こうして、南方面で商船が頻繁に行き来するようになったため、それを狙った略奪行為が行われるようになったのです。それが後期倭寇と呼ばれる新しい倭寇です。
しかし、16世紀後半になるとスペインやポルトガルの商人(南蛮商人)たちが東アジア地域に進出してきて、状況が一変しました。南蛮商人たちの圧倒的な武力と財力に押され、倭寇も弱体化していったのです。
加えて、日本でも戦国時代の争乱が次第に治まり、豊臣秀吉による全国統一が進んでいきます。1588年には、秀吉は海賊停止令(海賊取締令)を出して倭寇の取り締まりを西国大名に命じています。
また秀吉は朱印船貿易による貿易統制も実施しており、この方針は江戸幕府にも引き継がれていきます。
こうして16~17世紀になると倭寇は衰退して姿を消していき、東アジア海域は朱印船や明船、ポルトガル船が活発に行き来するようになりました。
しかし、ならず者を完全に撲滅するのは難しく、今度は中国人の海賊やオランダ船が、そうした貿易船を襲撃するようになったそうです。
「倭寇」とひと口に言っても、200年ほどの歴史の中で活発化したり衰退したり、全く違う形で復活したりしていたことが分かります。
参考資料
世界史の窓 NHK for School まなれきドットコム日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan