出島への出入りを許された絵師・川原慶賀。幕府から二度の懲罰を受けた波乱に満ちた生涯 (3/3ページ)
19世紀初頭の日本をビジュアルで詳細に伝えた図版として、高く評価されたその著書の挿絵の多くは慶賀によるものだ。
「紫陽花」の学名に愛する日本人女性の名を付けたシーボルトの愛情深いエピソード 再びの幕府からのお咎め、その後の慶賀
慶賀と息子川原盧谷による『草木花実写真図譜 2巻』(国会図書館デジタルコレクション)
シーボルト追放後も慶賀は出島出入り絵師として活動を続けたが、再び幕府からお咎めを食らってしまう。
商館員の依頼で描いた長崎港図に、当時長崎の警備に当たっていた佐賀藩と熊本藩の家紋を描き入れてしまったのだ。これが国家機密の漏洩とされ、慶賀は長崎追放の処分を受けることとなる。
その後についてはよく分かっておらず、多くの作品を残しているものの、没年はおろか墓所も分かっていない。
慶賀の作品の多くはオランダに送られたため、今日、日本国内に残る作品は50点ほどである一方、オランダのライデン国立民族博物館には1000点近くが収められている。
なかなか原画にお目にかかれる機会はないが、長崎歴史文化博物館のホームページでデータ化され公開しているので、ぜひご覧いただきたい。
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