ライバルにまで守られた!?死してなお子孫を守り続けた真田幸村(信繁)の「良縁」 (4/4ページ)

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真田神社

他にも、4人目の妻・隆清院は大阪夏の陣で難を逃れ、その娘は出羽亀田藩主・岩城宣隆に嫁ぎ継室に。また信繁の戦死後すぐに誕生した三男・佐次郎も宣隆のもとに引き取られ、元服すると三好左馬之介幸信と称して扶持380石を与えられ、岩城家の家臣となっています。

そして、関ヶ原で東軍についた外様大名たちでさえ多くが改易されお家断絶となる中で、敵対する者たちからもその子孫は守られ、現在まで家系が続いています。

信繁は九度山での長い不遇時代過ごしましたが、生前から死後までも人間関係に恵まれた、不思議な人生でした。

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