センス最悪…鎌倉時代、とある僧侶につけられた子供たちの名前がひどすぎる件。『沙石集』より (2/3ページ)

Japaaan

なので孕ませた可能性もなくはない……ということで、次の子には

サモアルラム(さもあるらん)」

と名づけました。「まぁ、我が子の可能性もあるかもしれないな」という意味です。

そして最後の妻。彼女は家族のごとく一緒にいたので、文句なしに我が子でしょう。ということで最後の子には

子細ナシ(しさいなし)」

と名づけました。まさに「文句なし、100%我が子である」という意味です。

かくして上人は我が子と認知した子細ナシ、その母と三人で暮らしましたとさ。

三人の子供たちのその後

信州の或(ある)山寺に上人あり。三(みつ。三人の女性)の腹に三人(みたり)の子をもてり。

初の腹の子をば、まめやかに忍々かよひければ、上人の子と云(いい)て具(ぐ)して来れども、不審に覚(おぼえ)て、名をば「思ヨラズ」とぞ付たりける。

次の腹の子をば、時には我房(わがぼう)にも忍び忍びかよひてすみければ、ひたそら疑の心もうすくして、名をば、「サモアルラム」とぞ付たりける。

後の妻は、うちたへ家に置て疑の心もなかりければ、其(その)腹の子をば「子細ナシ」とぞ、付たりける。

これは当時の事也。或人に値(会い)て自(みずから)なのりて、「此聖(このひじり)三人の子あり。しかじかと名付て候。これは「子細ナシ」が母なり」とて、妻も出て見参(げんざん)し、「思よらず」も、すこしをとなしき子にてありけるを、見たる人物語せしとなり。(以下略)

※『沙石集』巻第四「上人子持タル事」より
※原文のカタカナは読みにくいのでひらがなに直しました。

上人はある人に会ったとき「わしには三人の子がおり、それぞれ思ヨラズ・サモアルラム・子細ナシと名づけたのじゃ。で、これは子細ナシの母じゃ」と紹介しました。

親の愛をまったく感じられない名前の思ヨラズは、母親が亡くなって(あるいは捨てられて)引き取られでもしたのか、上人の元で暮らしたようです。

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