川上未映子が語る「自作が見向きもされなくなることの正当性」 (3/4ページ)
わたしは、文章じたいはエクストリームなものを目指したいけど、感情とか、人物造形とかにかんしては人間が生きてたらぜんぶ当たり前のことだよな、と思って書いているところがあります。わたしの小説の登場人物の満身創痍さは、現実にある満身創痍さだと思う。でも、読者のかたがサイン会にきてくれたりしたときにね、本当に泣いて、「あなたの作品があるから生きていける」というようなことを言ってくれることがあるんです。でも、そこで「ありがとう」とかは言えないですよね。読んでくれるこの方の生きづらさとか、どうしようもないしんどさが存在することで成り立ってるものが、わたしの側にあるわけです。自分がそういう仕事をしているんだと肝に命じることしかできないんですけどね。ツイッターでの告知とかなら「ありがとう!」って言えるんだけどね(笑)。だから「未映子かー。若いときはめっちゃ読んでたけど、今はもう全然読まなくなったなあ」というのを読んだときは、なんか、うれしかったんですよね。そっかそっか、って思って。
――「卒業」という感じなのでしょうか。
川上:どうなんでしょうね。現実的には読まれなくなると困るんですけど、困るのはしょせんわたしの生活だから、そこはどうでもいいんです。読まれたんなら、読まれなくなるまでを含めての、この仕事なんじゃないかと思う。ある時代に書かれて読まれたものが、ある時代にはもう読まれなくなるのは、悪いことじゃないというか。文学って読みつがれることにたしかに意味はあるけど、読まれなくなることにも意味があると思うから。
――コロナ禍で社会は大きく変わりました。コロナによって小説は変わると思いますか?
川上:あんまり変わらないと思います。
――パンデミックの初期の頃は、文芸誌のコロナについての特集などを読むとナイーブな受け止め方で書かれた作品もありましたが、最近は変わってきたように思います。今回の川上さんの本もすごく冷静というか、淡々と感染症が忍び寄る社会を書いているところがありますね。