「敵に塩を送る」はどこまで実話?上杉謙信の義侠心と武田信玄の食糧戦略 (2/3ページ)
人間が生きていく上で塩分は欠かせないものなので、仕方なく太平洋に面していた駿河と相模から塩を買っていましたが、あるとき同盟関係にあった今川氏真と北条氏康との関係が崩れ、信玄への塩の販売を禁止してしまいます。
「禁輸」ですね。
その騒動を聞きつけた上杉謙信が、「戦いは兵力をもって行うもの。自分は塩留めには参加しない。だからいくらでも越後から輸入しなさい。高値にしないよう商人にも厳命しておく」と信玄に伝えたのです。
武田信玄、「味噌」に目覚める史書にもあるように、謙信は無償で塩を送ったりしたわけでもなければ、塩を高値で売り付けるということを行ったわけでもありません。
ただ、まっとうに販売し続けただけです。
もちろんここで、禁輸に同調して敵を追い詰めることもできたでしょう。しかし卑怯なことはせず、真っすぐで義理堅い上杉謙信らしい決断でした。
「敵に塩を送る」ほど甘くはないけれど(塩なだけに…)、さすがは上杉謙信。その義侠心は本物です。
さて、この騒動により、塩の入手を他国に依存するのがどれほど危険か痛感した信玄は、味噌に目を付けました。
信玄の領地は大豆の産地でもあり、涼しい気候でもあったため、味噌作りに適した環境でした。たくさん作って保存しておけば塩分に困ることもありませんし、栄養も採れます。