武装解除の日本史!「刀狩り」は戦国時代の豊臣秀吉だけではなかった【後編】

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武装解除の日本史!「刀狩り」は戦国時代の豊臣秀吉だけではなかった【後編】

近代最初の刀狩り・「廃刀令」

【前編】までは、豊臣秀吉が行った「刀狩」までを説明しました。

武装解除の日本史!「刀狩り」は戦国時代の豊臣秀吉だけではなかった【前編】

時代が下って明治時代となり、武士が政治を司る時代が終わりを告げると、江戸時代の封建的な身分制度を廃止しようとする動きが強まります。

それには武士階級の象徴ともいえる「日本刀」を武士から剥奪する必要がありました。

そこで、明治9年(1876年)に明治政府によって発布されたのが、大礼服着用の場合及び軍人や警官以外の帯刀を禁止する法令、通称「廃刀令」です。

日常的に帯刀できる者を、軍人や警官など治安維持の公務に携わる者のみに限定したのです。

この廃刀令自体は実際に刀を没収する法律ではなく、刀を所有したり懐中に入れて持ち運ぶことなどは許可されていました。

しかし、武士達にとって刀を差して道を歩けなくなる事は、誇りと名誉を大いに傷付けられるもので、彼らにとって受け入れがたいものでした。

明治維新後、様々な特権を剥奪されてきた武士達の不満がここにきてついに噴出します。こうして翌年に起こったのが西南戦争です。

この戦争で政府軍が勝利したことにより、武士の時代は終わりを告げたのですが、日本刀そのものはまだ各家庭で所持されており、厳密な形での「武装解除」には至っていない状況でした。

この状況が一変するのは、昭和20年(1945年)、日本が第二次世界大戦で敗北しGHQの占領下に置かれた時からです。

GHQによる武装解除

大戦時、日本人はアメリカ軍に島を攻撃されて玉砕する時に、機関銃を持つアメリカ兵に軍刀を持って最後まで立ち向かっていったそうです。

ドイツやイタリアの兵はすぐに両手を挙げて降伏するのに対して、日本人だけは最後の最後まで日本刀で立ち向かってくる、GHQはそんな日本人を今のうちに武装解除させておかないと危険だと考えていました。

GHQ総司令官ダグラス・マッカーサー銅像

そこで、GHQは「民間の武装解除条項」を日本政府に指示します。

これは、一般日本国民の所有する日本刀を含めた一切の武器を没収するという内容でした。まさに、現代の「刀狩り」と言えるでしょう。

日本政府は当初、「日本刀は日本人の魂であり、代々受け継がれている家宝である」と主張し接収を拒絶しました。

しかしGHQがそのような例外を認めるはずもありません。

そこで、政府はごく一部の日本刀を武器ではなく美術品・文化的財産として保有する事を認めさせることにしました。

それ以外の大半の日本刀はすべて接収され海中に投棄されました。その数およそ100万振とも言われています。

現在、日本人が日常的に日本刀に触れる機会がほとんどなくなってしまったのは、この時の政策によるものなのです。

「刀狩」という名前だけでは豊臣秀吉の政策しか思いつきませんが、実は日本人は何度も「武装解除」させられてきたことが分かりますね。

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