猪突猛進「香車の伝右衛門」こと戦国武将・初鹿野信昌が陣羽織に仕込んだネタにアッパレ! (1/5ページ)

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猪突猛進「香車の伝右衛門」こと戦国武将・初鹿野信昌が陣羽織に仕込んだネタにアッパレ!

皆さんは将棋を指したことがありますか?

将棋は合戦を盤と駒によって表現。様々な役割を持つ駒を使いこなして勝利(敵将を討ち取ること)を目指すゲームです。

様々な駒の特性を活かして勝利を目指す(イメージ)

前に一歩ずつしか進めない歩兵(ふひょう)や、ひたすら真っすぐ突き進む香車(きょうす/きょうしゃ)、進路上の駒を飛び越せる桂馬(けいま)など、それぞれの動きから人材の特性を表現することもあります。

今回は自らを「香車」の駒になぞらえた戦国武将・初鹿野信昌(はじかの のぶまさ)のエピソードを紹介。

果たして彼はどんな香車ぶりを見せてくれるのでしょうか。

初鹿野信昌の生涯

さて、初鹿野信昌は天文10年(1541年)に加藤駿河守虎景(かとう するがのかみとらかげ)の六男として誕生しました。幼名は弥五郎、別名を昌久、昌次などとも呼ばれます。

加藤家はかつて源頼朝(みなもとの よりとも)公に仕えた御家人・加藤景廉(かとう かげかど)の末裔。虎景は甲斐国の戦国大名・武田信虎(たけだ のぶとら)に仕えて活躍。

武者奉行として信虎の嫡男・武田晴信(はるのぶ。信玄)の教育係も務め、名前に虎の字を拝領している(偏諱を受ける)ことから、その実績と信頼がわかります。

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