【真説 鎌倉殿の13人】上総介広常をもっと知りたい!本名・兵力・誅殺の理由など真相に迫る【その1】 (5/6ページ)

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では、本当のところ上総介はどれくらいの兵力を持っていたのでしょうか。それを考えるには、当時の上総国の収入が分からなければなりません。

兵を養うのには財力必要となります。当時の財力は領土から生産される米や産物の量(石高・貫高)です。石高・貫高が大きければ大きいほど多くの兵を持つことができるのです。

上総介広常が本拠としていた上総国の石高は、安土桃山時代の1598(慶長3)年には、おおよそ38万石とされます。広常が上総国を支配したのは、これより400年前のことです。

鎌倉時代から室町時代に二毛作や稲の品種改良が行われ、農業が発展したことを鑑みて、米の生産量を大体7割位と想定しましょう。そうなると、平安後期から鎌倉初期の上総国の石高はおおよそ26万石と見積もれます。

一般に1万石で500人の兵を養えるとされますので、上総国をほぼ一国支配していた広常の有していた兵力は約13,000人ということになります。

しかし、広常は佐竹氏などと争っていましたので、傘下の兵全員を率いてくるわけにはいかなかったでしょう。仮に、国元に半数の兵を残したとしても7,000人近くの兵力となります。

上総介は1万騎には満たないものの、戦慣れした精兵の大軍を率いて頼朝と合流したのです。

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