【真説 鎌倉殿の13人】上総介広常をもっと知りたい!本名・兵力・誅殺の理由など真相に迫る【その1】 (6/6ページ)

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頼朝の命運を握る存在だった上総介広常

 石橋山の合戦に敗れ、平家方の探索から身を隠す頼朝一行。(写真:Wikipedia)

一方、頼朝本軍はどれだけの兵力を有していたのでしょうか。石橋山合戦当時の頼朝軍は300人。援軍として間に合わなかった三浦勢400人を入れても総勢700人ほどでした。頼朝の敵で、東国における平家の代表だった大庭景親の動員兵力は3,000人とされています。

そう考えると、上総介の有する全兵力の13.000人が、いかに飛びぬけていたものであったか理解できるでしょう。

そして広常は義朝との深い絆から、上総の兵は自兵というよりも頼朝に供奉する兵であるという意識をもっていたのではないでしょうか。

上総介の兵を吸収することで、頼朝は石橋山敗戦の再起とさらなる飛躍に向け大きな一歩を踏み出しました。しかし、一方で頼朝の命運は上総介が握っていたことは誰も目から見ても明らかであったのです。

[その1]はここまで。[その2]では「上総介と頼朝の考えの違い」から起こった、頼朝による上総介広常誅殺の真相をご紹介しましょう。

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