死亡率100パーセント!日本史上唯一の玉砕戦法「捨て奸(すてがまり)」とは!? (3/4ページ)
しかし島津隊には、100%の確率で死ぬと分かっているのに自ら犠牲になった者が多かったそうです。
その一人である長寿院盛淳は、島津家の家老の一人。彼は義弘の影武者となり、「我こそは島津義弘である!」と大声で名乗って敵前に突入していったとか。
兵士たちがそこまでして義弘を守ろうとしたのは、義弘の人柄ゆえでもありました。
義弘は家臣に公平に接し、兵卒への気配りも忘れないとなど常に人を大切にする人で、とても慕われていたそうです。
その後、義弘の死後には、13名もの家臣が殉死したとか。
「捨て奸」での、「死んでも義弘を守る」という兵士たちの覚悟は、義弘の人柄と、普段から築き上げてきた信頼関係があったからこそだったのでしょう。