徳川家康の健康オタクぶりに驚愕!食事・運動・薬学まで…まるで管理栄養士

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徳川家康の健康オタクぶりに驚愕!食事・運動・薬学まで…まるで管理栄養士

徳川家康の食生活

徳川家康は、人一倍「食」に気を使った人でした。グルメという意味ではなく、健康のために、食事の内容には細心の注意を払っていたのです。

徳川家康(Wikipediaより)

彼が生きていた頃の平均寿命は、37~38歳だったといわれています。もっとも、子供の死亡率が高かったので平均値が下がっているだけで、実際には成人するともっと長生きしていたという説もありますが、家康が没したのは75歳なのでやはり当時としては長寿でしょう。

そんな家康の健康・長寿を支えていたのが、まず「麦飯と豆味噌」でした。麦には白米よりもビタミンB1カルシウム等が豊富に含まれており、彼が食べていた大豆100%の豆味噌にはアルギニンというアミノ酸がたっぷり含まれていました。

彼の麦飯は、胚芽の残ったお米と麦を混ぜたもので、それをしっかり咀嚼していたといいます。どこまで自覚していたかは分かりませんが、咀嚼には胃腸の働きを活発にし、脳の働きも活性化させる働きがあります。

麦飯

そんな彼の食事全般は、基本的に「粗食」でした。麦飯と豆味噌を中心として、おかずは一品か二品だったそうです。

その一方で、動物性蛋白質はしっかり摂取していました。味噌汁には肉を入れ、雉や鶴の焼き鳥を食べることもありました。動物性蛋白質は年配の人ほど食べるべきと言われており、血管の強化や筋肉の衰えの防止につながります。

突き抜けた健康生活

また家康は季節外れのものは口にせず、旬の食材だけを口にしていました。彼がまだ戦国武将だった頃、織田信長から贈られてきた季節外れの「桃」を、家臣が珍しがって感心する中で、家康だけは「季節外れのものは食べない」と食べることを拒んだという逸話が残っているほどです。

また、たとえ夏場でも火を通したものを食べるようにし、身体が冷えるものは摂取しなかったそうです。

現代では、こうした食習慣がいかに健康にいいかは科学的に実証されていますが、家康はそれを全部分かっていたのでしょうか? それとも、人間の知識というのは意外と300年経っても根本的なところはアップデートされておらず、私たちは健康についての知識を「発見」したつもりになっているだけなのでしょうか?

彼の徹底した健康生活ぶりを見ると、そんな風に考えさせられます。

さらに家康は食事だけではなく、運動も欠かしませんでした。年を取っても鷹狩り・剣術・水泳・乗馬を好んでおり、病気にもかかりづらかったそうです。また日常生活でも香を焚いたりして、今で言うアロマテラピーを楽しんでいたとか。

さらに、なんと彼は薬学を学んで、自分で薬の調合もしていました。薬草も100種類以上を栽培していたそうです。

健康と統治

彼の死因の俗説として「天ぷらの食べ過ぎ」とか「食い合わせが悪いものを食べた」というのがありますが、ここまで徹底して健康管理を心がけていた家康が、そのような原因で亡くなるというのはちょっと信じられなくなってきますね。

家康の、この執拗・綿密・徹底したオタク気質は、おそらく彼が構築した徳川幕藩体制が250年続いたこととも無関係ではないでしょう。戦国時代という地獄を見てきた彼は、二度と日本が「乱世」とならないよう、全国各地の大名の分布などに非常に神経を使いました。

愛知県岡崎市の徳川家康像

自分に身近な大名と疎遠な大名をより分け、後者は外様として反乱を起こしにくいようにして、二度と「下剋上」の殺し合いが起きないように創り上げられた江戸時代。それは、家康が自分の身体のみならず、日本そのものの「健康管理体制」をしっかり敷いたおかげだったのです。

ちなみに、これは余談ですが、徳川幕府の三代将軍・家光の死因は、当時「江戸わずらい」と呼ばれていた脚気(かっけ)でした。これは白米の食べ過ぎによる栄養不足が原因で起きるもので、もしも家康の健康法が後世にきちんと引き継がれていたら、彼ももっと長生きしていたかも知れません。

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