「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【前編・屋島の合戦】

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「鎌倉殿の13人」ついに平家討伐の最終決戦!第18回放送「壇ノ浦に舞った男」予習【前編・屋島の合戦】

平治の乱(永暦元・1160年)から25年、頼朝挙兵(治承4・1180年)から5年……ついに来ました壇ノ浦。時は元暦2年(1185年)3月24日、驕れる平家も久しからず、ついに滅亡の時を迎えました。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、第18回放送は「壇ノ浦に舞った男」……と言えば、あの男しかいないでしょう。そう、源義経(演:菅田将暉)の魅せた「八艘跳び」。

客観的に見れば逃げているだけですが、その姿さえも伝説になってしまう義経。国臣「壇ノ浦合戦義経八隻飛ひ」

平家の猛将・平教経(たいらの のりつね)に追われた義経が、次から次へ舟を八艘跳んで逃れた……という伝承ですが、三谷幸喜がこれをどうアレンジするかが見どころになるでしょう。

※ちなみに平教経は『吾妻鏡』だと、一ノ谷の合戦(大河ドラマでは第16回)時点で討死しています。しかし『玉葉』に実は生き延びていたとする風聞があり、本作ではこの説を採用する模様。

他にもいろいろと伝承や見どころがあるので、今回は第18回の予習として壇ノ浦&屋島の合戦にまつわるエピソードをいくつか紹介。大河ドラマではどれが採用されるか、楽しみですね!

エピソード1・逆櫓論争

都落ちした平家一門はしばらく海上を漂った末、讃岐国屋島(香川県高松市)に本拠地を構えていました。

これを攻略するべく源氏方は軍勢を繰り出したものの、海上の船戦さに不慣れなため、駆け引きに苦心していたと言います。

そこで梶原景時(演:中村獅童)は船に逆櫓(さかろ)はどうかと提案。逆櫓とは、通常船尾につける櫓(ろ。オール)を船首にもつけることで、前進のみでなく更新も容易になるのです。

景時の提案を聞いた義経は「そんなものをつけたら機動力が落ちるし、兵どもの臆病心を招いてしまう」と一笑。侮辱された景時は「進むのみで退くことを知らぬは猪武者なり」と反論しました。

口論する義経(左)と景時(右)。歌川国芳「源義経梶原逆櫓争論図」より

口答えされたことが気に入らない義経は「目上に向かって猪とは無礼な」と怒ります。しかし景時は軍監(いくさめつけ)であり、総大将であれ鎌倉殿のご舎弟であれ監督される立場には変わりありません。

「ともあれ最初から逃げ支度などしておっては、勝てる戦さも勝てぬ!猪でも何でも好きに吐(ぬ)かしおれ!」

……このことから景時は義経を怨み、やがて讒訴(ざんそ。相手を陥れるために偽りの訴えを起こすこと)によって義経を破滅へと導いた……とされます。

しかし、『吾妻鏡』によれば景時は中国地方から九州方面へと先回りして平家の退路を断った源範頼(演:迫田孝也)の軍勢に同行。このエピソードは『平家物語』の創作とする説が有力です。

エピソード2・六日の菖蒲

廷尉昨日自渡部欲渡海之處。暴風俄起。舟船多破損。士卒船等一艘而不解纜。爰廷尉云。朝敵追討使暫時逗留。可有其恐。不可顧風波之難云々。仍丑尅。先出舟五艘。卯尅着阿波國椿浦。〔常行程三ケ日也〕則率百五十余騎上陸。召當國住人近藤七親家爲仕承。發向屋嶋。於路次桂浦。攻櫻庭介良遠〔散位成良弟〕之處。良遠辞城逐電云々。」……(後略)

※『吾妻鏡』元暦2年(1185年)2月18日条

さて、瀬戸内海を渡ろうとしていた源氏の諸将ですが、暴風雨によって海は大荒れ。出航を見合わせていたところ、義経は船頭たちを弓で脅して無理やり出航させました。

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「通常なら三日かかるが、これだけの追い風なら一晩で行ける。戦で死のうが嵐で死のうが、今すぐここで射殺されようが、同じ死ぬなら一縷の望みに賭けてみよ!」

とか何とか無茶な命令もあったもので、結局5艘150騎で出航。丑刻(午前2時ごろ)に出て卯刻(午前6時ごろ)に阿波国桂浦(徳島県小松島市)へ到着します。

「このまま一気に平家の背後を衝け!」

義経らは在地の豪族・近藤七親家(こんどう しちちかいえ)を味方につけて阿波国を北上、道中に桜庭良遠(さくらば よしとお)を撃破しました。その勢いで讃岐国へ入り、陸地から屋島を目指します。

「近隣の民家へ手当たり次第火を放ち、我らの軍勢を大きく見せよ!」

いよいよ屋島へ迫った義経の軍勢を前に、平家方は慌てて屋島を放棄して海上へ逃げ出しますが……。

「しまった、あんな小勢だったら立て籠もれば防げたのに……」

とは言え、今さら悔やんでも後の祭り。まんまと屋島を攻略されてしまったのでした。

……そこへ遅ればせながら、他の諸将が到着。義経が「おせーよ」と言ったかはともかく、景時は「六日の菖蒲」と笑われることに。

菖蒲(あやめ。しょうぶ)は5月5日「端午の節句」に飾るもので、六日に持って来られても役には立たない……ここでも面目を失った景時ですが、この部分は『平家物語』の創作です。

エピソード3・扇の的

さて、本拠地を奪われた平家方は当然ながら死に物狂いで戦います。そんな中、平家方の船から扇が高く差し出されました。

「何の合図じゃ、あれは?」

義経が後藤兵衛実基(ごとうの ひょうゑさねもと)に尋ねたところ、どうやら「射られるものなら落としてみよ」という挑発のようです。

遠く離れて波間に揺れる扇の的……なかなか射るのは難しそうですが、ここで下野国(栃木県)の住人・那須与一宗高(なすの よいちむねたか)が推薦されました。

「与一の腕前はどんなモンだ」

「飛ぶ鳥を射れば、2/3くらいの確率で射落とせるほどでさぁ」

「ふーん……おぅ与一、あの扇の的を射落とせ」

「正直、あんな不安定な的を射落とせる自信がありません。仕損じたら味方の士気も下がりますし、もっと腕の確かな方にお任せいただけませんか」

辞退する与一に、義経は怒鳴りつけます。

「何だと、俺の命令が聞けないのか!逆らうヤツはとっとと帰れ!」

現代社会なら「ハイさようなら」案件ですが、ここで大人しく帰ったところで、ロクな未来は待っていません。

仕方なく命令を受けた与一は、運を天に任せて扇の的に挑みました。

安達吟光「大日本史略図会 四十九 那須与市宗高扇的を射て大に名誉を得る」

「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神、願はくはあの扇の真中射させて給ばせ給へ。これを射損ずるものならば、弓切り折り、自害して、人に再び面を向ふべからず。今一度、本国へ向かへんと思し召さば、この矢外させ給ふな」

※『平家物語』巻第十一「扇の的」より

源氏の氏神である八幡大菩薩と皇室の祖先である神明(天照大御神)に始まり、日光権現(日光二荒山神社)、宇都宮(宇都宮二荒山神社)そして那須の温泉大明神(那須温泉神社)……思いつく限りあらゆる神様に願をかけているところに必死さが感じられますね。

必死な願いが神々に聞き届けられたのか、矢はみごとに的中。敵味方の分け隔てなく、与一の腕前を賞賛したのでした。

ここで終われば「よかったね、与一」なのですが、感動のあまり平家方の武者(50歳くらい、黒革縅の鎧を着用)が扇の的が立っていた辺りで舞いを披露します。

それが挑発に見えたのでしょうか。与一の後ろから、義経の郎党である伊勢三郎義盛(いせの さぶろうよしもり)がやって来て

「九郎殿のご命令だ。あの者を射よ」

と言うので、仕方なく与一はその武者を射殺しました。もはや勝敗は決しているのだから、感極まって舞う者まで射る必要はないではないか……無粋なやり方に、心ある者は嘆息したということです。

【後半・壇ノ浦の合戦編へ続く】

※参考文献:

菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と虚像』角川書店、2005年4月 元木泰雄『源義経』吉川弘文館、2007年1月 森本繁『源平 海の合戦 史実と伝承を紀行する』新人物往来社、2005年1月

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