日本の在家仏教を疑問に感じ仏教追求のためチベットに渡った河口慧海 (3/3ページ)
彼らの活動はカルト的な印象をもつ者も多く批判の対象にもなりやすいが、一方で地域コミュニティに深く密着しており、こちら側が参拝に赴かない限り、縁遠い距離のある既存の寺院より遥かに身近な存在でもある。
■河口慧海が見据える未来とは
慧海にとって本来の仏教の基本は戒律の堅持にあった。日本仏教が飲酒、肉食、妻帯などで批判されるのは現代でも変わらない。(自称)出家僧と庶民との距離も縮まる気配もないようだ。本来「死穢」として忌み嫌われた死体の供養を進んで行った僧たちに由来する「葬式仏教」が、高価で派手な袈裟を着た「坊主丸儲け」の生業と堕してしまった状況において、「本来の仏教」とは何かは中々見いだせない。慧海の「在家仏教」の思想は昔も今も仏法の本義を忘れた僧侶たちを指弾し続けているのである。
堺市の南海電鉄・七道駅前には、荷物を載せた2頭の動物を連れている河口慧海の銅像がある。銅像の慧海の目は地の果て、そして未来を見据えているようにも見える。その未来が現代の状況ではあまりに寂しい。既存の寺院、僧侶たちには、地の果て、遠い未来とは言わずとも、地域の迷える人たちに自ら目を向けて欲しい。
■参考資料
■河口慧海「在家仏教」世界文庫刊行会(1926)
■元山公寿「河口慧海の在家仏教」『現代密教』第13号 智山伝法院(2000)