生まれた順番に死んでいく「親死 子死 孫死」の幸せと難しさ (3/3ページ)

心に残る家族葬

その意味で「親死 子死 孫死」の順番に反してしまった逆縁は、罪はなくとも不幸であることに変わりはない。

なお親による子の虐待死の報道も絶えない。彼らは人為的に、我が子に逆縁の不幸を押し付けるという大罪を犯している。これに匹敵する地獄行きの案件は中々無いだろう。

注:ドラマでは生まれ変わりではなく、妻の霊が別人の少女に憑依していたという設定に替えられている。

■現代の「大往生」の難しさ

高齢の人が天寿を全うすると大往生と呼ばれる。往生とは極楽往生の往生のこと。つまり極楽浄土に「往き」、そこで新たに「生きる」ことを意味する。浄土系仏教では阿弥陀仏に帰依して念仏を唱える人は誰でも往生できるとされるが、死者の中には突発的な事故死など、周囲も納得するほどの年月を生きることなく、人生半ばで往生してしまった人も多いことだろう。往生に「大」が付くのは、そうした人たちと比べて長寿、つまり神仏から与えられた命を最後まで使い切ったことを称える意味があると思われる。大往生と言われるような場合、死を悲しむというより、むしろ今生での人生の幕が堂々と降ろされ「長い間お疲れさまでした」といったところである。何より「親死 子死 孫死」の順番通りである。

だがこの大往生、現代では難しい面もある。単に長寿を全うしただけで大往生とは言えない。例えば発達した医療技術による延命に次ぐ延命の末に、やっと死ねたような場合でも大往生と言えるのか。また社会の長寿化において、介護する側が先に往生してしまう場合も少なくないと思われる。その場合は老いた身で逆縁の不幸に遭うことになる。「親死 子死 孫死」の難しさは現代でも違った形で現れているといえるのだ。

■これで良し

このように見ると「親死 子死 孫死」が当たり前のようでいかに難しく、大切なことかがわかる。とはいえ、それでもおおよそは親は子より、子は孫より先に死ぬものだ。親や祖父母を見送る時、仙厓(一休)の言葉を思い出せば、順番通りに死ぬことは悲しむことではない、これで良かったのだと思えるのでないだろうか。

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