生まれた順番に死んでいく「親死 子死 孫死」の幸せと難しさ (1/3ページ)

心に残る家族葬

生まれた順番に死んでいく「親死 子死 孫死」の幸せと難しさ

大切な人に先立たれるのは悲しいことである。だが、それが生まれた順番通りであるならそれは自然であり、むしろ幸せなことなのである。順番に反する死ほど辛いことはない。偉大な禅師たちはそれを逆説的に表現した。

■親死 子死 孫死

臨済宗の禅僧・仙厓義梵(1750〜1837)の有名な逸話がある。仙厓を招いたある篤志家が、掛軸を前に何かめでたい言葉を書いてくれと頼んだ。仙厓は「親死 子死 孫死」(祖死父死子死孫死)と書いた。

篤志家はいくらなんでもそれはないだろうと憤った。しかし仙厓、超然として 「孫死 子死 親死」の方がめでたいのかと言い返したという。人は必ずしも順番通りに死ぬわけではない。親にとって子に先立たれるほど辛いことはない。どのみち人は死ぬ。ならば家族が年の順番通りに死ぬことは自然である。この通りに死ねるならこれほどめでたいことはないというのである。

この逸話、同じ臨済宗の傑僧で「とんちの一休さん」で有名な俳句一休宗純(1394〜1481)のものであるとも言われる。事実は不明だが、いかにも一休が言いそうなことでもある。生まれた順どおりに死ぬ。年を取った者が先に死ぬ。当たり前のようで当たり前でない。

■頻発する夭折

2022年4月23日知床半島沖で発生した観光船沈没事故では3歳の少女の遺体や、子供のものと思われる日記が発見されたという報道を見た。また船上で恋人にプロポーズする予定だった23歳の男性の葬儀が行われたとの報道もされた。一方、山梨県・道志村の山中で子供のものとみられる骨や装備品などが発見された。現地では3年前キャンプ場で当時7歳の女児が行方不明になっており関連性が指摘されている。女児の母親が現地に赴き、娘の物ではないと信じているという旨の胸中を語った。そしてロシア・ウクライナ戦争でも毎日のように犠牲者が増えている。中でもウクライナの子供が巻き添えになっている報に接する度に胸が痛くなる日々だ。

人命は平等である。大人でも子供でも同じ命である。それでもやはり未来ある子供や若者の死は耐え難い。命が神仏から頂いたものなら、彼らは命を使い切る前に逝ってしまったのだ。

「生まれた順番に死んでいく「親死 子死 孫死」の幸せと難しさ」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る