どこまでも鬼畜!実は赤子ともども静御前まで殺そうとしていた源頼朝&梶原景時【鎌倉殿の13人】 (5/5ページ)
「日本一の舞とやらを、是非とも見せてもらおうではないか」
頼朝がしきりに求めたので、これから鶴岡八幡宮で舞わされることに。我が子の死と舞いのエピソード、『吾妻鏡』と『義経記』では順番が逆になるのです。
お腹を痛めて生んだ愛する我が子を殺されて、もう心身虚脱状態になっているであろう静御前に舞いを求める頼朝……どこまで鬼畜なのでしょうか。
あるいは心身虚脱ゆえに舞い損じ、それを笑い者にしてやろうと企んでいたのかも知れませんね。
我が子を失った哀しみを堪え、見事に舞い上げた静御前。上村松園筆
それでも日本一の舞手として誇り高く舞い遂げた静御前は、まさに文字通り命懸けの舞を魅せたことでしょう。
判官贔屓(ほうがんびいき)の結晶である『義経記』では、これ以外にも義経たちを引き立てるために頼朝たちの悪役ぶりがこれでもかと増幅されています。
日本人がいかに義経たちを愛してきたかがよく分かると共に、『吾妻鏡』などとの違いを読み比べてみるのも楽しいですよ!
※参考文献:
島津久基 校訂『義経記』岩波文庫、1939年3月 高木卓 訳『現代語訳 義経記』河出文庫、2000年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan