呪術的な力と医療知識を併せ持った医師にして呪術師の看病禅師とは

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呪術的な力と医療知識を併せ持った医師にして呪術師の看病禅師とは

奈良時代、宮中で病気の平癒を祈り祈祷する役目を担った「看病禅師」という僧侶たちがいた。仏教は本来宗教というより哲学的な要素が強かった。しかし日本に伝来した仏教に望まれたのは呪術的な力だった。その対象は大きくは国家の反映であり、身近では皇室貴族の病気平癒である。僧侶の中でも看病禅師は病からの回復を祈り、医療知識も併用して治療する祈祷師、呪術師としての役目を司っていた。

■宮中の看病禅師

禅師とは一般的には鎌倉時代に確立した曹洞宗や臨済宗などの「禅宗」の僧侶を指すが、この場合の「禅師」とは山林修行を修めた修行者のことである。山は畏怖の対象であり、そのものが御神体として崇められてきた山もある。山で修行を極めた僧侶には異能が宿ると思われていても不思議ではない。また山林で修行した彼らは薬草などの知識も豊富だっただろう。元々僧侶になるには「五明」という5分野の学問を修める。そのひとつ「医方明」には 医学・薬学・呪法が含まれていた。知識と修行。彼らは古代において最新の医学者であり、同時に強力な呪術者と見られていたのだった。特に聖武天皇(701~756)の御代は看病禅師が活躍し、その中でも法栄という禅師は他の禅師が祈祷、読誦が主だった中で医療の知識に優れ、聖武帝の看病を手がけたという。しかし看病禅師は宮廷内にいることから、宮中権力と結託し高い地位に上り詰めようとする、中国の宦官のような者も出てくるようになる。

■鏡とその後の看病禅師

有名な怪僧・弓削道鏡も看病禅師のひとりだった。道鏡といえば称徳女帝(718~770)に寵愛され、皇位までも伺ったとされるダークなイメージがあるが、以下の記事にあるように再評価の動きも高まっている。

―奈良時代の僧・道鏡(どうきょう)(?~772)の「悪僧」とされる人物像の再評価と顕彰を進め、奈良市の西大寺で法要を続けてきた市民団体「道鏡を知る会」(大阪府八尾市)が今月、解散した。寺や関係者は解散を惜しみ、学者や彫刻家、行政も一緒になって、顕彰を続ける方向で検討を始めた。道鏡は、称徳天皇の仏教信仰を通じた厚い信頼によって「法王」になり、皇位継承をねらったとも伝わる。同会は「道鏡は本当に悪僧だったのか」という疑問を原点に、道鏡の故郷である現在の八尾市の市民らが1980年に立ち上げた。ピーク時は約60人が活動したが、会員は高齢化し、解散前には5人に減っていた。(朝日新聞デジタル「道鏡顕彰、どう続ける?「知る会」解散で 西大寺」より抜粋)―

道鏡は悪僧だったのか。その真実の行方は興味深いが、道鏡が看病禅師のひとりとして称徳天皇(当時は孝謙上皇)の病を治癒し、そのことで女帝の信頼を得て傍らに侍るようになったことは事実である。女帝にとって道鏡は宮中で最も頼れる存在であり結果として道鏡の立場は高くなる一方であった。女帝は自分を救った道鏡の持つ呪術力に魅せられていたのかもしれない。
道鏡を巡る一連の騒動の後、看病禅師の呪術性が権力と結びつきやすいと危惧を抱いた桓武天皇(737〜806)は、奈良仏教と決別するため平安遷都を断行した。桓武帝は医療に関しては宮廷医に任せ、看病禅師は「護持僧」として国家繁栄を祈る鎮護国家を専門とさせた。とはいえ
最澄(767〜822)、空海(774〜835 )の伝えた平安仏教、密教がその後も加持祈祷による病気平癒などの呪術力が期待されることになる。平安の都では最澄の複雑で精緻な天台教学より、空海の呪術的な密教が好まれた。一方で最澄が開いた比叡山延暦寺は都の鬼門に位置し王都守護の役目を司った。朝廷は最澄にも呪術力を求めていた。

■在野の看病禅師

看病禅師は宮廷だけではない。修行を修めた後、官僧にならず市井に下り、遁世僧として庶民に寄り添った禅師たちもいた。仏教説話集「日本霊異記」には禅師が般若経や法華経などの経典を読誦して民の病を治す説話が多くある。説話とはいえこれらは実話に基づいたものなのかもしれない。古代における神仏への畏敬の念は、現代の私たちには想像できないほどだったと思われる。実際に禅師の超常的な力が無かったとは言わないが、民の神仏への信仰や、禅師の呪術的な力に対する信頼が自己治癒力を高めたことは十分考えられる。これに薬草などの知識が加われば説話に残る程の活躍ぶりも納得がいく。宮廷から庶民まで看病禅師の存在は得難いものだったに違いない。

■救いの「呪術」

無神論として知られる(諸説あり)釈迦の合理的な哲学はそのままの形では日本に根付かなかった。そもそも仏教は本場インドでは滅亡している。仏教に取って代わったのが、一神教のイスラム教と多神教のヒンドゥー教である。イスラムとヒンドゥーは相容れないように見えるが、どうしようない絶望からの救いを求める人々は「無我」「無常」を説く哲学より、神の力にすがれる宗教を選んだのだった。仏教は日本においても最新の科学でありつつ、最強の呪術だった。それは元々の仏法とは方法は異なるかもしれないが、多くの人々が救われたことは確かなのである。

■参考資料

■「道鏡顕彰、どう続ける?「知る会」解散で 西大寺」 朝日新聞デジタル 2022年4月23日10時00分配信
■関谷由香里「日本における仏教看護の歴史-看護の歴史的研究(その1)」『日本赤十字広島看護大学紀要』 第3巻 日本赤十字広島看護大学(2003)
■根井浄「古代の禅師と医療」『印度學仏教學研究』25巻 1号(1976)

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