呪術的な力と医療知識を併せ持った医師にして呪術師の看病禅師とは (1/3ページ)

心に残る家族葬

呪術的な力と医療知識を併せ持った医師にして呪術師の看病禅師とは

奈良時代、宮中で病気の平癒を祈り祈祷する役目を担った「看病禅師」という僧侶たちがいた。仏教は本来宗教というより哲学的な要素が強かった。しかし日本に伝来した仏教に望まれたのは呪術的な力だった。その対象は大きくは国家の反映であり、身近では皇室貴族の病気平癒である。僧侶の中でも看病禅師は病からの回復を祈り、医療知識も併用して治療する祈祷師、呪術師としての役目を司っていた。

■宮中の看病禅師

禅師とは一般的には鎌倉時代に確立した曹洞宗や臨済宗などの「禅宗」の僧侶を指すが、この場合の「禅師」とは山林修行を修めた修行者のことである。山は畏怖の対象であり、そのものが御神体として崇められてきた山もある。山で修行を極めた僧侶には異能が宿ると思われていても不思議ではない。また山林で修行した彼らは薬草などの知識も豊富だっただろう。元々僧侶になるには「五明」という5分野の学問を修める。そのひとつ「医方明」には 医学・薬学・呪法が含まれていた。知識と修行。彼らは古代において最新の医学者であり、同時に強力な呪術者と見られていたのだった。特に聖武天皇(701~756)の御代は看病禅師が活躍し、その中でも法栄という禅師は他の禅師が祈祷、読誦が主だった中で医療の知識に優れ、聖武帝の看病を手がけたという。しかし看病禅師は宮廷内にいることから、宮中権力と結託し高い地位に上り詰めようとする、中国の宦官のような者も出てくるようになる。

■鏡とその後の看病禅師

有名な怪僧・弓削道鏡も看病禅師のひとりだった。道鏡といえば称徳女帝(718~770)に寵愛され、皇位までも伺ったとされるダークなイメージがあるが、以下の記事にあるように再評価の動きも高まっている。

―奈良時代の僧・道鏡(どうきょう)(?~772)の「悪僧」とされる人物像の再評価と顕彰を進め、奈良市の西大寺で法要を続けてきた市民団体「道鏡を知る会」(大阪府八尾市)が今月、解散した。寺や関係者は解散を惜しみ、学者や彫刻家、行政も一緒になって、顕彰を続ける方向で検討を始めた。道鏡は、称徳天皇の仏教信仰を通じた厚い信頼によって「法王」になり、皇位継承をねらったとも伝わる。

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