伝説の名将・太田道灌!戦では負け知らず、築城の名人で歌まで詠んじゃう才覚に驚き (2/3ページ)

Japaaan

江戸城の巽櫓

江戸城は、言うまでもなく現在の皇居ですが、今も皇居の周囲には「道灌堀」という名のお堀が残っています。

彼はこの他にも他にも多くの城を築いています。それらの出来栄えはどれも見事なもので、「築城名人」という異名で呼ばれるようになります。

「歌人」で、戦でも負け知らず

また道灌は築城にとどまらず、戦でもその才覚を発揮しました。

1471年(文明3年)、足利成氏と戦いで上杉政直が戦死します。政直は扇谷上杉家の当主ですが、跡継ぎを残していませんでした。そこで道灌が懸念したのは、「跡目争いが起きるのではないか」ということでした。

そこで、彼は新当主として叔父を擁立し、跡目争いによって扇谷上杉家が分裂・崩壊するのを未然に防いでいます。

足利成氏と上杉一族との争いは、約30年も続きましたが、このとても長い戦乱の中で、道灌は30回以上も出陣しました。その中で彼は数々の武勲をあげており、負け知らずの名将としてその名前を轟かせています。

また、道灌には文化人としての才能もあり、歌人としても活動していました。

彼が歌の道に進むきっかけとなった理由が、逸話として語り継がれています。

ある時彼は、突然の雨に遭遇して、ある農家に蓑を貸してほしいと頼みました。しかし、差し出されたのが蓑ではなく山吹の枝だったため、道灌は困惑し、立腹します。

後日その話を家臣にしたところ、山吹の枝は歌にちなんでおり、蓑も貸せない申し訳なさを枝に込めたのだと知った道灌は、気づけなかったことを恥じ、歌を学ぶようになったそうです。人柄が伝わってくる逸話ですね。

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