【鎌倉殿の13人】まもなく描かれる?謎に包まれた源頼朝の死。実は怨霊に祟られた説も (3/4ページ)

Japaaan

もちろん亡霊です。

壇ノ浦に沈んだ安徳天皇。歌川芳艶筆

「やっと見つけた……そなたを随分怨み続けておったぞ……朕(ちん。天皇陛下の一人称)が誰と思う?そうじゃ、かつて壇ノ浦に沈んだ安徳天皇(あんとくてんのう)じゃ!」

壇ノ浦で平家が滅んでから10年以上。だいたい鎌倉にいた頼朝を捜すのに、どこを探していたのかというツッコミはさておき、このあと間もなく頼朝は病床に臥せってしまいます。

そして年が明けて建久10年(1199年)1月13日、頼朝は53歳で薨去(こうきょ。貴人がなくなること)したのでした。

終わりに

……同冬大将殿相模河ノ橋供養ニ出テ還ラせ給ヒケルニ八的カ原ト云處ニテ亡サレシ源氏義廣義経行家已下ノ人々ノ怨霊現レ将軍ニ目ヲ見合ケリ是ヲ打過給ヒケルニ稲村崎ニテ海上ニ十歳計ナル童子ノ現シ給ヒテ汝ヲ此程随分ウラミツルニテコソ見付タレ我ヲハ誰トカ見ル西海ニテ沈し安徳天皇也トテ失給ヌ其後鎌倉ヘ入給ヒテ則病著給ヒしカ明年正月正治元年十三日終ニ五十三ニソ薨し玉フ是ヲ老死ト云ヘカラス偏ニ平家其外多クノ人ヲ失ヒ或親族等ヲ亡セシ霊怨因果歴然ノ責也……

※『保暦間記』より

かくして世を去った頼朝。しかし『保暦間記』はこれを「寿命ではない」と追及します。

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