まさに戦国の売りこみ名人!武将・塙団右衛門が見せた大坂の陣でのパフォーマンスとは? (3/5ページ)

Japaaan

仏門の道へ

その後、団右衛門は嘉明より格上の小早川秀秋に仕えます。しかし、慶長7年(1602年)に秀秋が亡くなると、松平忠吉に仕えます。

 小早川秀秋/Wikipediaより

5年後の慶長12年(1607年)に忠吉が亡くなったことで、団右衛門は出家。鉄牛の名で僧になりました。

 松平忠吉/Wikipediaより

ただ、武士としての名残があった団右衛門は、帯刀した状態で僧の修行である托鉢に臨んだことで檀家から不興を買いました。

夜討の大将、塙団右衛門

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣が勃発すると還俗。不利な陣営に与した方が手柄を多く立てられる上に、活躍によっては大名になれるという理由から豊臣方に味方しました。

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