まさに戦国の売りこみ名人!武将・塙団右衛門が見せた大坂の陣でのパフォーマンスとは? (2/5ページ)
唯一はっきりしている経歴は、浪人だった団右衛門が文禄の役の前に加藤嘉明に仕えていたということ。その戦いで活躍した団右衛門は、鉄砲大将に出世し歴史の表舞台に立つこととなりました。
加藤嘉明と対立慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いでは、嘉明軍の鉄砲大将として東軍に与します。しかし、団右衛門は命令を無視したことで嘉明から「お前は将としての器と能力がない。」と咎められました。
この言葉にカチンときた団右衛門は、「遂不留江南野水 高飛天地一閑鴎」(お前のような小さな器に留まることなく、もっといい主君を探す(意訳))と書いた漢詩を屋敷の畳に貼り付け、出奔。
団右衛門の行動に怒りを隠せなかった嘉明は、他家が団右衛門を召し抱えないよう奉公構を出しました。