外郎(ういろう)の歴史をたどる!その由来と「名古屋名物」になった経緯は?

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外郎(ういろう)の歴史をたどる!その由来と「名古屋名物」になった経緯は?

羊羹と外郎の違い

名古屋名物の食べ物は? と聞かれて、多くの人が挙げるであろう「外郎(ういろう)」。その歴史をたどってみたいと思います。

外郎は羊羹(ようかん)に似ていますが、羊羹とは形や作り方が異なります。

羊羹は基本的に「棹物(細長く作り、切り分けて食べる和菓子の総称)」として売られますが、外郎は和菓子のように丸い形のものや三角のものなどもあり、特定の形にとらわれていません。

ひと口ういろう

また、羊羹は寒天で固めて作りますが、外郎は米粉や砂糖を混ぜたもので、もちもちとした食感が特徴です。黒糖を使っている外郎が最も伝統的とされていますが、今では白砂糖・抹茶・こしあんなどを使ったものもあります。

最もポピュラーなものは米粉で作られますが、わらび餅粉や小麦粉など、使われる粉も地域によってさまざまです。

もちろん羊羹にも形から材料までさまざまなバリエーションが存在するので、羊羹と外郎の決定的な違いは分かりにくくなっているかも知れません。基本形からあまりに外れてしまうと、素人目には名前が違うだけではないか、という気もしますね。

ただ、例えば中華の技法を取り入れた洋食を中華料理と呼ばないのと同じように、やはり基本的な材料が違っているため、羊羹は羊羹、外郎は外郎、という線引きはあるようです。

花の形を模したういろう

さて、外郎=名古屋というイメージが強い方も多いと思いますが、実は外郎は名古屋発祥の食べ物ではありません。では発祥はどこで、なぜ外郎は名古屋、というイメージになったのでしょうか。

外郎の起源として有力視されているのが、中国です。

中国の公家から東海道新幹線へ

元が明に滅ぼされた際、日本に亡命した陳氏という公家がいました。陳氏は1400年続いた伝統ある家だったのですが、そのまま日本に帰化します。そして日本では、役職であった外郎(ういろう)を名乗ったのです。

陳氏は医術に長けており、天皇家や幕府に薬を献上していました。その薬の効果はとても高く、薬そのものが「ういろう」と呼ばれるようになります。

そして薬だけではなく、彼らは外国使節団の接待に使うお菓子も作るようになりました。これがお菓子としての外郎の起源とされています。

抹茶ういろう

さてしかし、陳氏は当初は博多に滞在しており、京都に移ったりもしたそうですが、名古屋にはゆかりがないとされています。

それではなぜ、外郎が名古屋名物となったのでしょうか。実はこれについての歴史はあまり古くなく、原因は「東海道新幹線」が開通したことでした。

名古屋に青柳総本店という和菓子屋さんがあります。明治12年操業の老舗の菓子店なのですが、ここでは開業当初は羊羹を販売していました。

しかし後に外郎を販売するようになり、昭和6年からは名古屋駅で立ち売り(今でいう移動販売のようなもの)を始めています。そして東海道新幹線が開通したのとあわせて車内販売を行ったことにより、「外郎=名古屋」というイメージが定着したのでした。

東海道新幹線

外郎そのものの歴史はかなり古いですが、「名古屋名物」というイメージは、現代的なマーケティング戦略の賜物だったんですね。

インターネットが普及していなかった当時、お菓子を名物として宣伝するには口コミなどを利用する明確な戦略が必要でした。そういえば名古屋と言えば、楽市・楽座を広めた織田信長のお膝元です。こういった地域性があったからこそ、外郎の販売戦略も成功したのかも?

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