尼将軍・北条政子も涙…謀反の疑いで出家させられた岡崎義実、その晩年は【鎌倉殿の13人】 (2/5ページ)
「まぁ入道殿、いかがなされました」
「尼御台様、どうかお聞き下され。挙兵以来30年、恩賞にいただいた所領は少なく、ずっと貧乏に苦しんで参りました。その少ない所領も石橋山で討ち死にした倅の菩提寺を建立するために寄進してしまったので、今では針を立てるほどの寸土ばかり。これでは子孫に何も遺してやれませぬ……」
かつて69歳という高齢で挙兵に加わった義実は、石橋山で嫡男の佐奈田与一義忠(さなだ よいちよしただ)を喪っています。
「わたくしもかの戦で兄弟(北条宗時)を喪うております。入道殿はじめ、命懸けで戦うて下さった方々の忠義はひとときとして忘れたことはございませぬ」
「尼御台様の温かきお言葉、永年の労苦も報われ申す」
政子は側近の二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。二階堂行政の子)を呼び、申し伝えます。
「羽林(うりん。将軍・源頼家)殿へお伝えせよ。入道殿は挙兵以来の勇士。永年の功労に報いる為、よき所領を与えられるようにと」
「ははあ」
かくして義実は加増にあずかり、ぶじ孫の岡崎実忠(さねただ。義忠の子)へ受け継ぐことができたのでした。