尼将軍・北条政子も涙…謀反の疑いで出家させられた岡崎義実、その晩年は【鎌倉殿の13人】 (3/5ページ)

Japaaan

和田合戦図。実忠はどこで戦っているのだろうか。歌川豊国筆

※ただし、実忠は建暦3年(1213年)の和田合戦で和田義盛(演:横田栄司)に加担しており、所領を失ってしまいます。

終わりに

もうこれで思い残すことはない……すっかり安堵したのか、義実は同年6月21日に89歳で亡くなりました。

岡崎四郎平義實法師卒〔年八十九〕。三浦庄司義繼四男云々。

※『吾妻鏡』正治2年(1200年)6月21日条

【意訳】岡崎四郎こと平義実入道が89歳で亡くなった。三浦庄司義継(みうら しょうじよしつぐ)の四男であったとか。

言及はこれだけ。例えば源氏3代(源義朝・源頼朝・源頼家)に仕えたとか、平治の乱で敗死した義朝の菩提を弔ったとか……それこそ頼朝の挙兵に参加したとか書くことはいくらでもありそうなのに、そっけないですね。

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