悪行三昧の逸話が残る豊臣秀次。”殺生関白”という不名誉なレッテルは本当だったのか? (5/5ページ)

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京都三条大橋 (7月)

遺体は秀次の首と共に一ヶ所に埋葬され、そこに建てられた塚は「畜生塚」とされました。

また、秀次に近しい大名達も改易処分となり、秀次が政務を行っていた豪華な聚楽第や、所領の近江八幡城も全て破却されてしまいました。

この時の秀吉のふるまいは常軌を逸した残忍極まりないものでした。これといった罪のない秀次の処罰を正当化するために、「殺生関白」秀次像が創られたのではないかという見方もあります。

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