源頼家の妻つつじ(北香那)のモデル・辻殿は、どんな女性だったのか?【鎌倉殿の13人】 (2/4ページ)

Japaaan

大河ドラマでどのようなアレンジがされるのか、比較して楽しむご参考にどうぞ。

公暁を生み、頼家の死後に出家する

辻殿は生年不詳、父親は三河源氏の賀茂六郎(かもの ろくろう。足助重長)、母親は為朝の娘と言われています。

賀茂六郎は生年不詳、尾張源氏の一族で三河国賀茂郡足助荘を治めており、河内源氏(頼朝たちの家系)との関係から為朝の娘を娶りました。

尾張源氏も同じ清和源氏(清和天皇から枝分かれした源氏)には違いありませんが、劇中の頼朝はより自分に近い河内源氏の為朝を重視したのでしょう。

伝承によると賀茂六郎は治承5年(1181年)の墨俣川合戦に参加、源行家(演:杉本哲太)や義円(演:成河)らと力を合わせて奮戦したものの、生け捕られて処刑されてしまったとのこと。

大河ドラマでは第11回「許されざる嘘」辺りですね。なお、六郎の兄である山田重満(やまだ しげみつ)も平家の軍勢に討ち取られています。

若狭局には後れをとったものの、念願の男児を産んだ辻殿(イメージ)

さて、辻殿へ話を戻して『吾妻鏡』では、頼家の室(妻。正室か側室かは不明)として正治2年(1200年)に善哉(ぜんざい。後の公暁)を生みました。ただし『尊卑分脈』などでは若狭局(せつ)が生んだとの説もあります。

しかし頼家が将軍職を追われ、元久元年(1204年)に修善寺で横死すると辻殿と善哉も命を狙われたらしく、出家を条件に助命されたのでした。

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