源頼家の妻つつじ(北香那)のモデル・辻殿は、どんな女性だったのか?【鎌倉殿の13人】 (3/4ページ)
それから少し経って承元4年(1210年)7月8日に辻殿は出家。建暦元年(1211年)には善哉も出家して公暁(くぎょう/こうぎょう。演:寛一郎)と改名します。
これ以降、辻殿は歴史の表舞台から姿を消し、その晩年や没年などははっきりしません。
先に男児を生んだ方が正室?【辻殿の生涯・関係略年表】
年代不明 誕生
治承5年(1181年) 父・賀茂六郎が処刑される
年代不明 頼家の室となる
正治2年(1200年) 善哉(公暁)を生む
建仁3年(1203年) 頼家が修善寺に幽閉される
元久元年(1204年) 頼家が修善寺で横死する
承元4年(1210年) 出家する
建暦元年(1211年) 善哉も出家、公暁と改名
以上、辻殿の生涯を駆け足でたどってみました。頼家が殺されてすぐに出家しなかったのはなぜなのか、気になりますね。
ちなみに頼家の愛妾とされた若狭局ですが、彼女の生んだ一幡は嫡男として扱われており、果たして室である辻殿とどっちが正室なのかはっきりしません。
辻殿より先に嫡男を生んだから、若狭局は愛妾から正室に格上げされた?(イメージ)
これについて、若狭局は嫁いだ当初こそ愛妾だったものの、先に男児(一幡)を生んだから正室に格上げされた(とうぜん一幡は嫡男に)との説もあるとか。
この場合、室であった辻殿は立場を追い越されてしまった形に。彼女たちが「どっちが先に男児を生むかレース」を繰り広げていた可能性も考えられます。
「先に男児を生んだ方を正室とする。