「関ヶ原の戦い」で翻弄された島津義弘!玉砕戦術 ”捨て奸”に至るまでの壮絶なドラマ【後編】 (3/3ページ)
「島津の退き口」とも呼ばれるこの退却戦は、今もなお戦いの壮絶さと島津義弘と家臣の強い信頼関係を語り継いでいます。
関ケ原の戦いのあと、次々と改易や減封などの厳罰にあう西軍側の諸大名。その一方で島津家は家康から本領を安堵されました。西軍として参戦し、東軍にも大きな損害を与えたのにも関わらずこれは異例の措置でした。
明治時代まで島津氏の居城だった鹿児島城(写真は復元された御楼門・Wikipediaより)
一説には、関ケ原の戦いで勇猛果敢な戦を見せた義弘に、家康が脅威を覚えたからともいわれています。
「捨て奸」は戦場の島津軍のみならず、その後の島津家をも救ったのです。
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