【三大法難その①】専修念仏をやめろ!?「元久の法難」で浄土宗と開祖・法然にふりかかった災難
専修念仏の「解釈違い」
浄土宗には「三大法難」と呼ばれている、浄土宗そのものが危機に陥った出来事が三つあります。今回はそのうちのひとつ「元久の法難」について解説します。
これは、後の「建永の法難」の前触れというか前兆のような出来事でした。
「法難」とは仏教に起こった事件や災難のことで、元久の法難とは、鎌倉時代に浄土宗とその開祖である法然に降りかかった災難のことを指します。
法然は「南無阿弥陀仏」を唱えることで極楽浄土が叶うという「専修念仏」という教えをを説きました。
修行を必要としない専修念仏は、瞬く間に多くの人々に広まりました。
しかし広まるにつれ「ただ念仏を唱えるだけでよい」と誤った解釈をする者や、修行や学問を必要とする他の宗を軽んじる者などが現れます。
さて元久元(1204)年10月、延暦寺の僧達が天台座主真性(しんしょう)、つまり延暦寺のトップにあたる僧に対して専修念仏の停止(ちょうじ)を訴えました。これが「元久の法難」です。
法然の心配実は、法然はこうなることを危惧していたようで、すぐに真性に対して『送山門起請文』という起請文を送り弁明をします。
さらに、専修念仏を学ぶ浄土宗の門弟に向けては『七箇条制誡』と呼ばれる7つの制誡を示しました。その内容は、
①天台・真言の教説を批判したり、阿弥陀仏以外の諸仏菩薩をそしらないこと。
②まだ仏教の教えを修めていない無智の身であるにも関わらず、有智の人と諍論(じょうろん、言い争いのこと)をしないこと。
③念仏以外の修行を行う別解(べつげ)・別行(べつぎょう)の人に対して、本業(ほんごう)を棄置し嫌わないこと。
④念仏門には禁止されるべき行いがないからといって、酒や肉、色欲に耽ることを他人に勧めないこと。また教えをまじめに守っている者に対して、造悪を恐れないなどと主張しないこと。
⑤正しい仏教の教えから離れて自分勝手な考えを述べたり、諍論を起こさないこと。
⑥痴鈍の身でありながら、正しい仏教の教えを修する前に邪法でもって人々を教化(きょうけ)しないこと。
⑦仏法ではない邪法を説いて、それを正法としないこと。
というもので、法然の門弟達が署名をしていきました。
危機を逃れた、が…ちなみに、先述したこの請戒は現在も京都嵯峨二尊院に残っており、その署名の中には、当時、綽空(しゃっくう)と名乗っていたかの親鸞の名もみえます。
これに加えて、法然に関わりが深い前関白・九条兼実の口添えもあって、延暦寺の僧たちの訴えは落ち着き、法然は救われました。
しかしその後、南都の興福寺でも法然の専修念仏の停止を求める訴えが起こり、朝廷へと訴状が送られます。
朝廷はこれに対して、一連の問題は法然の門弟達の浅智が原因であるとし、専修念仏の停止や法然の処罰までは行わないと決定しました。
この「元久の法難」では、朝廷の後鳥羽上皇は、浄土宗に対してまだ距離を置いていたようです。しかしその後、ついに上皇自ら浄土宗のあり方を断ずる措置が取られ、「建永の法難」へと続いていくことになります。
次回に続きます
参考資料
日本の歴史 解説音声つき 寺院センター 正法寺-shoboji日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan