成金や新しい娯楽の登場などロマンあふれた「大正時代」短期間でも生活が大きく近代化!

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成金や新しい娯楽の登場などロマンあふれた「大正時代」短期間でも生活が大きく近代化!

大正時代は1912年から1926年までの約15年しかありませんでした。

しかし、経済成長の波に乗った大正時代独特の文化は「大正ロマン」とよばれ、人々の生活が大きく近代化した特別な時代でもあるのです。

大戦景気と成金

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1914年に第一次世界大戦が勃発し、多くの軍需品をヨーロッパに輸出していた日本経済は、大変潤う「大戦景気」となりました。そして、重化学工業を中心に急成長したことで「成金」が誕生。足元が暗いことに困っている女性を見た成金が、お札を燃やして周囲を明るく照らす有名な風刺画からも、この時代の様子が伝わってきます。

多くの成金を生んだ工業の発展は、「エリート」とよばれる高学歴者を都市に集めるキッカケとなり、現代のサラリーマン社会の原型となりました。

人気職業となった「バスガール」

大正初期、大衆の娯楽として史跡や名勝などを巡る遊覧バスが登場します。

1925年、東京乗合自動車は初めてバスガイドを採用。当初は男性のみを雇用していましたが、豊富な知識と話術を必要とする職業であったため高い給料がネックでした。

そこで、1928年に大分県別府市にある「亀の井遊覧自動車(現在の亀の井バス)」が初めて女性のバスガイド採用に踏み切ります。この判断が、大当たり。

オシャレな襟付きのワンピースの制服は当時の女性たちの憧れとなり、バスガールは人気職業になったのです。

東京駅丸の内駅舎

都市に人口が密集したことで郊外に多くの住宅地が建設され、「東京駅」のような都市と郊外を結ぶ鉄道も整備されました。大正時代を代表する近代建築家「辰野金吾」がデザインした東京駅・丸の内駅舎は1914年(大正2年)に完成しており、現在まで100年以上の歴史があります。

関東大震災や第二次世界大戦で一部焼失しましたが2012年には復元され、駅舎内を見学できるように整備されました。外壁など主要部分は焼ける前の駅舎を最大限に活用しているため、現代でも辰野金吾氏のデザインや建築技術が残されており、大正時代の雰囲気を味わうことができます。

映画

人々の生活が豊かになったことで、ラジオやレコードといった新しい娯楽が次々と誕生しました。

なかでも人気だったのは映画ですが、当時は音がなく、映像も白黒。代わりに、活動弁士と呼ばれる人物がストーリーや登場人物の会話を実況し、映像に合わせた音楽を楽団が生演奏していました。

活動弁士はアドリブでセリフをアレンジして客を楽しませることもあったようでで、話術次第で映画の売り上げが大きく変わったといいます。

大正時代に活躍した偉人

大正時代は、学問が大きく発展した時代でもありました。

医学分野だけでも、ペスト菌を発見した北里柴三郎や赤痢菌を発見した志賀潔、黄熱病研究の先駆者である野口英世など多くの偉人を輩出しています。

彼らのような偉人のおかげで、日本の国際的地位が向上したのです。

大正時代は約15年と短い期間ではありましたが、経済や文化、医学など多くの面で発展を遂げた時代だったともいえるでしょう。

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