邪馬台国論争「魏志倭人伝」から導き出された新説とは (2/3ページ)
――どのような過程で「壹」が「臺」に変わったと考えているのでしょうか。
藤田:昔は書物を残すためには「写本」しかありませんでした。本を書き写す過程で写しまちがえたり、あるいは意図的に文字を変えたりということがあったのかもしれません。
――当時朝鮮半島の南端が倭国の一部だったというのは初めて目にする意見でした。この考え自体は一般的なものなのでしょうか。
藤田:一般的かどうかはわかりませんが、「魏志倭人伝」にははっきり朝鮮半島の南端にあった「狗邪韓国」が倭国の北限だと書いてあります。どうして倭の一部が朝鮮半島にあったのかはわからないところがあるのですが、「魏志倭人伝」を見ると、弥生時代の日本はまだ文明が発達していなかったわけです。
――原始人と変わらないような生活をしていたようですね。
藤田:ところが古墳時代になると石室をともなった広大な古墳が突如出現する。文明の発達度にかなりギャップがあるんですよ。でも、当時から文明が進んでいた朝鮮半島との間に交流があって色々なことを学んでいたと考えると、朝鮮半島の一部が倭だったというのはありえるのかなという気がします。
――邪馬台国の場所については「九州説」と「畿内説」が有力とされてきましたが、本書では畿内でも大和にあったのではないかとしています。大和にあったと仮定すると、すべての辻褄が合うのでしょうか。
藤田:元々大和であったものを中国人が現地の人の発音からヤマトウーと書いたわけで、後で勝手に「邪馬台国」などと読み直して問題を複雑にしただけだと考えています。その辺りはこの本の中で全容を解説していますので読んでみていただきたいです。
――個人的には「魏志倭人伝」の中の邪馬台国の場所についての記述の解釈が面白かったです。