邪馬台国論争「魏志倭人伝」から導き出された新説とは (3/3ページ)
朝鮮半島から現在の福岡県のあたりにあったとされる不弥国にやってきた魏の国の使節団が船で「南に二十日」、そして「船で水上を十日航行、徒歩で陸上を一月歩く」ことで邪馬台国に至ったとあるのですが、「南に二十日」が嘘で実は「東に二十日」だったのではないかと本書では仮説を立てています。ただ「嘘の行程が書かれている」という可能性を入れてしまうと「邪馬台国九州説」を否定できなくなります。この点についてはいかがでしょうか。
藤田:「船で二十日+十日航行した」と書いてあること自体が嘘と考えるならそういうことも言えると思います。ただ、方向は別にしても「船で移動した」とは書かれています。徒歩で移動しているなら「歩いて何里」と書いたはずです。実際にその前の訪問地についての記述ではそのように書いているので。
それに、彼らは朝鮮半島に帰らないといけませんから、船を放置して長い移動はできません。だから、船で移動したこと自体はまちがっていないのではないかと思います。「九州説」はこの船での移動について説明ができないのです。
――あくまで「方角」のところだけ嘘をついた、ということですね。
藤田:そうです。福岡にあった不弥国から船で「南に二十日」だと沖縄の方に行ってしまってどこにも辿り着きません。ただ「東に二十日」とすれば日本海を東に向かって航行し、その後「船で水上を十日航行、徒歩で陸上を一月歩く」で近畿地方に着くことが想像できます。
あまりにも事実と異なる嘘を書いてしまうと、記録書としての意義がなくなってしまいますから、方角のところだけを事実と変えたのではないでしょうか。
――それなら確かに邪馬台国が大和にあったという可能性も出てきます。ただ、なぜ嘘を書いたのでしょうか。
藤田:それは当時の大陸の勢力図を考える必要があります。日本列島から海を挟んで西にあった呉の国は魏と競合していたため、倭の存在は魏にとっては都合がよく、呉にとっては脅威だったはずです。それもあって、魏は倭の場所をできるだけ知られたくなかったのではないかと想像できます。
(後編に続く)