邪馬台国論争「魏志倭人伝」から導き出された新説とは (1/3ページ)
歴史には謎がつきもの。史料や証言から「その時なにがあったのか」に思いを巡らせるのが歴史の醍醐味の一つだが、古代となると史料は限られ、想像は難しい。
江戸時代から論争になっている「邪馬台国の場所」はその最たるもの。日本最古の書物とされる「古事記」でさえ書かれたのは8世紀であり、邪馬台国があったとされる3世紀のことを書き記した書物は日本にはない。
『魏志倭人伝と大和朝廷の成立』(藤田洋一著、幻冬舎刊)は当時のことを知るための唯一の手がかりである「魏志倭人伝」を紐解いて、邪馬台国の場所と日本のルーツについての新説を提唱する。今回は「邪馬台国は大和にあった」とする自説の着想について、著者の藤田洋一さんにお話を伺った。
■「邪馬台国論争」で「魏志倭人伝」から導き出された新説――『魏志倭人伝と大和朝廷の成立』は日本史の長年の謎への新たなアプローチがされていて刺激的でした。藤田さんが弥生時代末期から大和朝廷成立までの時期に関心を持たれたきっかけをお聞きしたいです。
藤田:私は今沖縄で生活しているのですが、沖縄の人は本土のことを「ヤマトウー」と言うんです。それを聞いて「これは邪馬台のことを言っているのではないか」と考えたのがきっかけです。
――最初は「ヤマトウー」という音がきっかけだったんですね。
藤田:そうです。そこから、当時のことを知る唯一の手がかりといっていい「魏志倭人伝」を読むようになったのですが、その過程で、「ヤマトウー=邪馬台国」という発想と結びつく別の発見がありました。
「邪馬台国」の「台」の字は、江戸時代以前は旧字の「臺」だったのですが、実は「魏志倭人伝」のオリジナル版では「壹」が使われて「邪馬壹国」と書かれているんです。この文字だと「豆」が入っているので「ヤマトウ」と読めますよね。だから、邪馬台は「ヤマトウ」がオリジナルで、それが変化して「ヤマト(大和)」になったのではないかと考えています。