太田幸司、愛甲猛…「夏の甲子園」語り継がれるスーパーヒーローたちの「名勝負の裏側」

日刊大衆

画像はイメージです
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 猛暑の続く夏。聖地・甲子園では今年も、球児たちが汗と泥にまみれている。

「注目は、センバツ優勝の絶対王者・大阪桐蔭を倒すのは、どこかという点。怪物級はいませんが、2018年の金足農のエース吉田輝星(現・日本ハム)のように、ヒーローが突然、生まれるのも甲子園の醍醐味です」(アマ野球ライター)

 そこで今回は、歴代の甲子園ヒーローたちが、球史に刻んだ名勝負と、その後の人生を、当事者たちの証言も交えながら、振り返っていきたい(文中敬称略)。

 甲子園が生んだ“元祖アイドル”といえば、1969年の夏、松山商との延長18回、決勝再試合で知られる青森・三沢のエース、太田幸司だろう。

「再試合の末に準優勝に終わりましたが、端正な顔だちから女性人気が沸騰。ドラフト1位で入団した近鉄でも、ほとんど1軍での実績がなかった1年目から、3年連続してファン投票でオールスターに選出されるなど、まさに国民的人気を誇りました」(前同)

 電車での移動時には、同僚たちがガード役でつき添うなど、常に異例の厳戒態勢が敷かれたという。

 そんな太田のプロ入り翌年である71年、作新学院で初登板初勝利を挙げたのが江川卓だ。甲子園デビューは3年春と遅かったが、その頃には“怪物”の噂が全国に知れ渡っており、センバツ初戦には、その姿を見ようと大観衆が詰めかけた。

「地元の強豪・北陽(現・関大北陽)を相手に、19奪三振の快投を見せつけた。有力校による“江川包囲網”と、打率2割台の貧打線がネックとなって、春夏ともに優勝はなりませんでしたが、73年の甲子園は、まさに江川一色でした」(在阪スポーツ紙デスク)

■江川にとって最後の夏、試合の結果は

 73年、江川にとって最後の夏。1年生の篠塚和典がいた銚子商と当たった2回戦は、ゼロ行進で延長12回へと突入。雨中の熱戦は、雨でボールが滑る不運もあり、押し出しサヨナラの劇的な幕切れを迎えた。

「それでも、3年夏までの公式戦で、2度の完全試合を含むノーヒットノーラン9度に、通算493奪三振、防御率0.47と、今も不滅の記録を打ち立てた。新旧含めて、本物の怪物は彼だけでしょう」(前同)

 社会現象ともなった、そんな江川の快投を、テレビを通して見ていたのが、のちに当人も“アイドル”として人気を博す愛甲猛だ。

「俺も高校の県大会ではノーヒットノーランを2度やったりしてるけど、江川さんには到底かなわないよ」

 その愛甲率いる横浜が、甲子園で初の頂点に立ったのが、80年夏。決勝の相手である早稲田実業には、その後、5季連続出場で大人気となる1年生の荒木大輔がいた。

「当時の俺らは、いわばポッと出の新鋭校。箕島、天理、早実と続いた強豪校との対戦は本当に骨が折れたよ。特にきつかったのは準決勝の天理戦。あの日もし負けてたら、渡辺(元智)監督の野球人生も変わったはずだし、(松坂)大輔の出現もなかったと思う」(前同)

 2年生が主力の当時の天理は、後に南海入りする藤本博史(現・ソフトバンク監督)らの打線がウリ。1点ビハインドの7回表、強まる雨脚の中で投げる愛甲は、審判団から「コールドも覚悟しろ」と告げられた。

「そしたら、その裏の攻撃で2死からエラーで出塁して、同点。チームで一番の鈍足が盗塁して、試合で打った記憶もないような下位打線が安打で続いたんだよ。“もう負けた”と思っていた俺は、ベンチ前でのキャッチボールもしてなかったぐらいなのに(笑)」(同)

 8月8日発売の『週刊大衆』8月22・29日号では甲子園で起こった懐かしの名勝負を大特集している。

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