日本になぜユダヤ人の埴輪? 謎の芝山古墳から出土した「人物埴輪」とは (3/3ページ)
和同開珎をつくった多胡羊太夫
多胡羊太夫は、7世紀ごろに現在の群馬県後で名を成した人物で、「和同開珎」を献上した人物です。
武蔵国秩父郡か上野毛国辺りで銅塊を発掘したとされています。
古代ユダヤ人は鋳造技術に長けた民族でした。現代でも金融業界に巨大起業を持ち、第二次世界大戦では「守銭奴」として差別にあったことは記憶に古くありません。古来から、「金」という概念でビジネスが成り立つ社会や国家をいち早く構築していた民族です。
多胡羊太夫がユダヤ人であるなら、この話もしっくりきます。
当時朝廷で藤原不比等が権力をもっていました。彼も多胡から助言をうけ、日本を貨幣経済にし蓄財という概念を普及させようとしますが、なかなか定着せず失敗に終わります。
米という目に見える自然の恵みをありがたがる農耕民族であるから、見えない「利子」という概念を理解できなかったのでしょう。
武士の時代になっても米で給金がわりだったことからうかがえるように、日本では米主体の経済が続きます。
どうでしたか。学界からは定説とはされていませんが、東国にユダヤ人が住み着き国作りに貢献してくれたその姿を留められたと考えると、ロマンがわいてこないでしょうか。
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