「鎌倉殿の13人」野望むき出しの比企一族。義時は阻止できるか…第31回放送「諦めの悪い男」予習

阿野全成(演:新納慎也)の死によって露わとなった比企能員(演:佐藤二朗)の野望。
意のままにならぬ鎌倉殿など必要ない……源頼家(演:金子大地)を排して幼い一幡(演:相澤壮太)を擁立せんとする比企一族を阻むべく、北条義時(演:小栗旬)が立ちはだかります。
権力に執着する比企一族の追放を図る義時。しかし全成の呪詛が効いてしまったのか、肝心な時になって頼家が急病に倒れてしまうのでした。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第31回放送は「諦めの悪い男」。このサブタイトルが指しているのは比企能員か、それとも?
今回の見どころと予想される「比企の乱(比企能員の変)」とその周辺状況について、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』をたどっていきましょう。
全成の呪詛?悪化していく頼家の病状鎌倉殿・源頼家の発病および病状について、『吾妻鏡』はこのように記しています。
晴。戌尅。將軍家俄以御病惱。御心神辛苦。非直也事云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月20日条【意訳】晴れ。午後8:00ごろ、頼家はにわかに発病。その苦しみようは尋常ではなかったとか。
御病惱既危急之間。被始行數ケ御祈祷等。而卜筮之所告。靈神之崇云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月23日条【意訳】頼家の病状が一向に回復しないため、数か所(寺社)に命じて祈祷をさせました。占いの結果によれば、神仏の祟りだとのこと。
……心当たりがあり過ぎですね。そんな中、京都より使者が到着して「播磨公頼全を処刑した」との報告がありました。
相摸權守使者自京都到着。申云。去十六日。催遣在京御家人等。於東山延年寺。窺播磨公頼全〔全成法橋息〕令誅戮之云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月25日条【意訳】源仲章(演:生田斗真)の使者が京都より到着して報告するには「7月16日、東山延年寺で全成の息子・頼全(演:小林櫂人)を処刑した」とか。
ちなみに劇中では、頼全が全成と実衣(演:宮澤エマ。阿波局)の子であるように言及されていますが、二人の嫡子(母親が北条の娘=阿波局である)とハッキリ記されているのは阿野時元(ときもと)のみ。頼全は庶子(側室の子。非嫡出子)となります。

全成と相次いで殺されるシーンを描きたかったから、ちょっと設定を変えたのでしょう(まぁ、本作の全成に側室なんていそうにありませんしね)。
愛する息子を殺された全成の怒りと怨みはよほど強かったようで、頼家の病状は8月に入っても全然好転の兆しを見せません。
將軍家御不例太辛苦云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)8月7日条【意訳】頼家の病気ははなはだ辛く苦しそう≒あれから全く回復しない様子。
そんな中、8月4日に三浦義村(演:山本耕史)が土佐守に任命されています。
平六兵衛尉義村補土佐國守護職云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)8月4日条【意訳】三浦義村が土佐国の守護職に補任されたそうな。
任免(朝廷への推挙)権を持っているはずの頼家はそれどころじゃないはず……ということは、恐らく尼御台・政子(演:小池栄子)の同意を得た北条時政(演:坂東彌十郎)が三浦一族を味方につけるための工作を行ったのでしょう。
何のために?そりゃあもちろん、来るべき比企との対決に備えての根回し(の一環)に決まっています。
8月15日から16日にかけて行われた鶴岡放生会(つるがおかほうじょうえ。神事の一つ)と流鏑馬神事も頼家は欠席、いよいよ回復の見込みがなくなった8月27日、時政は(政子の名義で)御家人たちを集めて後継者を選ぶ会議を開きました。

時政による分割統治案。実際この通りだったかは不明(イメージ)
將軍家御不例。縡危急之間。有御讓補沙汰。以關西三十八ケ國地頭職。被奉讓舎弟千幡君〔十歳〕以關東二十八ケ國地頭并惣守護職。被充御長子一幡君〔六歳〕。爰家督御外祖比企判官能員潜憤怨讓補于舎弟事。募外戚之權威。挿獨歩志之間。企叛逆。擬奉謀千幡君并彼外家已下云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)8月27日条
「本来ならば、頼家様のご嫡男である一幡様が鎌倉殿を継ぐべきだが、まだ幼すぎる。そこで西国38か国については千幡(演:峰岸煌桜。源実朝)様が治め、東国28か国については一幡様が治めるという形はどうだろうか……」
時政の提案に能員が怒るまいことか、断じて受け入れる筈がありません。が、時政の周到な根回しによって御家人たちはほとんど賛成。
「謀りおったな、北条め!」
頼家の病状はますます悪化しているし、このままでは北条に天下の半分を奪られてしまう……かくして能員は北条打倒を企むようになるのでした。
比企能員の変と、一幡の最期そして9月に入り、頼家の病気はいよいよ重篤となり、どんな祈祷も治療もまったく効果がありません。
將軍家御病惱事。祈療共如無其驗。依之。鎌倉中太物忩。國々御家人竸參。人之所相謂。叔姪戚等不和儀忽出來歟。關東安否。盖斯時也云々。
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月1日条
「いよいよ鎌倉殿が危ないらしいぞ、急げ!」
何を感じたのか、諸国から御家人たちが続々と鎌倉へ集結。鎌倉じゅうが騒然となりました。
人々が言うには「いよいよ叔父(義時)と甥(頼家)の不和が表面化するのではないか」すなわち「ついに鎌倉殿へ愛想を尽かした北条のクーデターが起きるのでは」とのこと。
鎌倉殿につくべきか、あるいは北条氏についた方がいいか、御家人たちの思惑も交錯したことでしょう。
そして運命の9月2日。時政は能員をおびき出して暗殺し、一気に比企一族を攻め滅ぼすのでした。
※比企能員の暗殺・比企の乱についてはこちら:
比企能員、暗殺計画!北条時政の命により仁田忠常と天野遠景は…前編【鎌倉殿の13人】 比企能員、暗殺計画!北条時政の命により仁田忠常と天野遠景は…後編【鎌倉殿の13人】「頼家様の回復を祈願する薬師如来像が完成したから、ぜひとも法要にご参列下さらんか……」
こんな見え見えの罠でしたが、能員は「あえて余裕と度量を見せてやるよ」とほぼ丸腰で行ったところを殺されてしまいます。

比企谷(ひきがやつ。現:鎌倉妙本寺)に立て籠もった残党らを討ち滅ぼし、炎上する館の中でせつ(演:山谷花純。若狭局)と一幡は最期を遂げたのでした。
ただしこれには諸説あり、『愚管抄』では義時が一幡を匿い、11月3日になって藤馬(とうま)という郎党に殺させたと記述されています。
サテソノ年ノ十一月三日。終ニ一万若ヲバ義時トリテヲキテ。藤馬ト云郎等ニサシコロサセテウヅミテケリ。
※『愚管抄』第六巻より【意訳】さて、建仁3年(1203年)11月3日。ついに義時はそれまで匿っていた一万(一幡)若君を藤馬という郎党に刺し殺させ、その遺体を埋めさせたのでした。
この藤馬という郎党が善児(演:梶原善)の跡継ぎとして育てられたトウ(演:山本千尋)のモデルではないかとの推測もありますが、どうして義時は一幡を匿い、そして結局殺したのでしょうか。
恐らくは政子らの意向で何とか助けたいと思っていたものの、比企一族に連なりそしてかつて鎌倉殿の最有力候補であった一幡を生かしておけぬとする時政らの圧力に屈したものと考えられます。
かくして「比企の乱」は集結し、次の鎌倉殿は千幡に決定するのでした。
終わりにが、頼家の病状が奇跡的に回復。目を覚ました時には嫡男の一幡も後ろ盾であった比企一族も滅び去ったと知らされ、愕然とします。

頼家、奇跡の回復。果たしてよかったのかどうか……(イメージ)
「おのれ北条め、謀りおったな!」
怒りに燃える頼家は、さっそく和田義盛(演:横田栄司)と仁田忠常(演:高岸宏行)を召し出して「時政を殺せ」と命じるのですが……今回はこの辺りで。
鎌倉の主導権を比企一族から奪取せんがため、北条一族が起こしたクーデター「比企の乱」。大河ドラマでは主人公である北条が正義のように描かれているものの、『吾妻鏡』を読む限り時政の狡猾さは十分に伝わります。
その辺りを比較しながら、次回は比企一族の最期を見届けたいところです。
※参考文献:
『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan