日本、中国、台湾がそれぞれ領有権を主張。尖閣諸島の歴史とは?その2 (2/3ページ)
日本政府の公式見解は尖閣諸島の編入手続きは国際法でいう先占の法理手順を満たしており「この領域に領有権問題は存在しない」というものですが、中国政府や中華民国政府は、1971年以降から領有権を主張して「領有権問題が存在する」と主張しています。
日本の行政区分では沖縄県石垣市に属しますが、中華民国は宜蘭県に属すと主張しています。
どうしてこのような事になったのか、前回に引き続き日本側の歴史を振り返りましょう。
石垣島に編入1902年(明治35年)、石垣島大浜間切登野城村に編入され地番の標杭が設置されました。
古賀辰四郎・善次親子はアホウドリの羽毛の採取、グアノ(海鳥糞)の採掘、鰹漁業、鰹節の製造などの事業を経営し、1909年には古賀による事業は最盛期を迎えました。
そして事実、日本人家庭が99戸、248人が生活していたのです。
1932年(昭和7年)、魚釣島、久場島、北小島および南小島の4島は古賀辰四郎の嗣子である善次に1万5千円で払い下げられ私有地となりました。しかし、アホウドリの羽毛採取は乱獲や猫害などにより中止となり、鰹節の製造も燃料が配給制となったため継続は困難となりました。
1940年(昭和15年)、古賀善次が尖閣諸島での事業から撤退し、居住していた人々も退去して再び無人島となりました。
戦前には、以上のような民間人の事業活動のほか、国の機関や沖縄県による資源調査・地形調査などが実施され、尖閣諸島に対する日本の有効な支配が継続していたのです。