戦国時代『応仁の乱』で主君の落ち目に乗じて下剋上を果たした波多野全慶の野望 (4/6ページ)
「細川殿、わしを三河守護代にしてくれる話は……」
「ん、何のことかな?わしは三河守護代に『興味はないか』と訊いただけで、そなたを三河守護代に『してやろう』とは言っておらんぞ?」
「おのれ、裏切ったな!」
なんてやりとりがあったかどうか、この混乱以降は三河国に守護職が任じられた記録もなく、本格的な戦国乱世に突入していきました。
新興勢力として台頭してきた戸田(とだ)氏や松平(まつだいら。後に徳川)氏などと群雄割拠を展開していた全慶でしたが、明応2年(1493年)にかつて同僚であった牧野成時(まきの なりとき)に討たれてしまいます。
こうして(自称)一色刑部少輔こと波多野全慶の野望は潰えてしまったということです。
終わりに・全慶の子孫たちしかし波多野一族の命脈はその後も続き、子孫たちは戦国乱世を果敢に戦い抜いたのでした。